【ドクター・ジョン、ピアノとオルガンを同時にプレイ】

マジック。

ショウ・タイムは午後9時からだが、その2分前にはバックのバンドメンバー(ドラムス、ギター、ベース)の3人はすでにステージに立って準備万端となっていた。ちょうど9時、ドラマーがニューオーリンズ・ファンク特有のセカンド・ラインのリズムをたたき始め、ブルーノートがニューオーリンズになった。この時間どおりに始まるきっちりさはなんだ? (笑) 気まぐれで、気難しそうなドクター・ジョンのショウはこうして、9時ちょうどに始まった。

派手な蛇柄のステッキを手に持ち、ゆったりと通路を歩いてきたドクター・ジョン・ザ・ナイトトリッパーは、グランドピアノとオルガンの中間に置かれた椅子に腰掛け、ピアノをたたき出した。そのピアノの上には小さなドクロが置かれ、魔術師の部屋に飾られていそうな布がデコレーションされている。

たった4人でつむぎ出すグルーヴ、ファンク。おそらく、ドクター・ジョンの本気からすれば、せいぜい6割くらいの力で適当にやっているのだろうが、それでも十分ニューオーリンズのグルーヴだ。

ところどころMC(司会)をいれるが、南部なまりの英語でほとんどわからない。

7曲目で最大のヒット「ライト・プレイス・ロング・タイム」をやったが、ピアノとオルガンの間で観客席に向かって座り、左手でピアノ、右手でオルガンを演奏するという二刀流を見せた。

ドクター・ジョンが弾くピアノはグランドピアノなのだが、どうしても出てくる音がちょっと調律もおぼつかない場末のバーのアップライト・ピアノのように聞こえてしまう。弾き方のせいなのだろうか。ドクター・ジョンのマジックか。ドクター・ジョン、音楽は十分にファンキーだ。

ドクター・ジョンのマネージを18年ほどしているスパーキー氏によると、毎日、ファースト、セカンドとともにセットリストがほとんど違うという。たしかに、今日のセットリストと初日(9月16日)のファースト、セカンドを見比べてもかなり違う。いやあ、さすがにレパートリーが多いだけのことはある。

そういえば、前回(2000年5月)のブルーノートには、ちょうど行った日にエリック・クラプトンが飛び入りで入って一曲演奏していったっけ。もう5年も前か。あれはぞくぞくっときた。

Setlist

show started 21:00
01. (Medley) Down By The Riverside/Indian Red
02. Keep That Music Simple
03. Dis Dat Or D’Udda
04. Kin Folks
05. Virus
06. Evil
07. Right Place Wrong Time
08. Same Old Same Old
09. You Lie Too Much
10. Wang Dang
11. Sick & Tired
12. Ain’t My Fault
Enc. Sweet Homer New Orleans
show ended 22.23

■ブルーノートウエッブ
http://www.bluenote.co.jp/art/20050916.html

(2005年9月19日月曜、東京ブルーノート=ドクター・ジョン&ザ・ローワー911・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Dr. John & The Lower 911
【もう一枚のデュエットアルバム登場】

未発表。

2004年6月10日に他界し、同年8月にリリースされた『ジニアス・ラヴズ・カンパニー』が大ヒットしたレイ・チャールズが、他にもう一枚デュエット・アルバムを録音していて、それがこのほど発売されることになった。アルバムのタイトルは、『ジーニアス・アンド・フレンズーーラスト・セレナーデ』で、全米では9月20日発売予定、また日本では10月5日の発売予定。ワーナーからでる。

デュエットしている相手は、アンジー・ストーン、メアリー・J・ブライジ、グラディス・ナイト、ダイアナ・ロス、ジョン・レジェンド、アリシア・キーズなど。レコード会社の資料には、録音は主に1998年と書いてあるが、アーティスト名などから推理するとここ1年くらいのものもある。

この作品は、レイ・チャールズが過去にレコーディングした作品に、後から、レイのヴォーカル・トラックを抜いて、新しいアーティストがデュエット部分を重ねる方法で録音している。ナット・キング・コール、ナタリー・コールのゴースト・デュエットによる「アンフォーゲッタブル」と同じ手法だ。この点が最初からデュエットを録音しようということでレコーディングした『ジニアス・ラヴズ・カンパニー』と違う。

たとえば、「イマジン」(ジョン・レノンのヒット)は、96年のレイ・チャールズのアルバム『イマジン〜ストロング・ラヴ・アフェア』のトラックを使用している。そこにルーベン・スタッタードとハーレム・ゴスペル・シンガーズが録音している。
a
いくつか聞き物があるが、ジョン・レジェンド、リーラ・ジェームスあたりは、ここ1年以内の録音だろう。アリシア・キーズの「アメリカ・ザ・ビューティフル」も注目作だ。

+++++

レイ・チャールズ/ジーニアス&フレンズ〜ラスト・セレナーデ〜
2005年10月05日発売
[ WP - ライノ ]
品番:WPCR-12206
価格:2,580(税込)

01オール・アイ・ウォント・ドゥ (with アンジー・ストーン)
02ユー・アー・マイ・サンシャイン (with クリス・アイザック)
03イット・オール・ゴーズ・バイ・ソー・ファスト (with メアリー・J.ブライジ)
04ユー・ワー・ゼア (with グラディス・ナイト)
05イマジン (with ルーペン・スタッダード&ハーレム・ゴスペル・シンガーズ)
06コンペアード・トゥ・ワット (with リーラ・ジェイムス)
07ビッグ・バッド・ラヴ (with ダイアナ・ロス)
08アイ・ウィル・ビー・ゼア (with アイディーナ・メンゼル)
09ブレイム・イット・オン・ザ・サン (with ジョージ・マイケル)
10タッチ (with ジョン・レジェンド)
11シャウト (with パティ・ラベル&アンドレ・クラウチ・クワイアー)
12サレンダー・トゥ・ラヴ (with ラウラ・パウジーニ)
13バステッド (with ウィリー・ネルソン) (ライヴ)
14アメリカ・ザ・ビューティフル (with アリシア・キーズ)

ENT>MUSIC>ALBUM>Charles, Ray
ENT>MUSIC>ARTIST>Charles, Ray
【ハリケーン・エイド・ジャパン設立】

設立。

音楽評論家の湯川れい子さん、渡辺プロダクションの渡邊美佐社長、デイヴ・スペクターさんなどが発起人となってハリケーン・カトリーナで被災した人々のためにハリケーン・エイド・ジャパンを設立した。そのご案内を友人の越谷政義さんよりいただいたので、内容をご紹介する。

ハリケーン・エイド・ジャパンのサイトは次のとおり。

http://www.hurricane-aid-japan.com/index.html

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(お知らせ)

 アメリカ南部を襲ったハリケーンの猛威はすさまじく、「これがあの豊かな国の姿か?!」と、ショックを受ける惨状のひどさは、目を覆うばかりです。

 戦後60年。私たちが憧れ、さまざまに影響を受け、仕事でもお世話になってきたブルース、ジャズ、ロックンロールの発祥地が、その音楽を産み出した仲間たちが、その歴史的な町並みと共に、汚泥の中に沈んでいます。

 多くの日本人にとって、アメリカ南部は、第二の音楽のふるさと。決して見過ごすことの出来ない人々の涙。そして嘆きの声ではないでしょうか。

 そこで、こんな時こそ、民間の交流、善意が大切だという強い想いから、湯川れい子さんが中心になって有志が呼びかけ合って、財界、政界、文芸界、音楽界、および一般の方々など、日本人の顔と声とが、直接被災地の人々に届くような形で、大きな募金の輪を広めるべく、「ハリケーン・エイド・ジャパン」を立ち上げました。私も微力ながらお手伝いさせていただいております。

 つきましては、ぜひとも賛同人、賛同団体(会社)としてお名前をHPなどに明記させていただきたいのですが、いかがでしょうか。よろしくご協力のほどお願い致します。

越谷拝

+++++

ENT>ANNOUNCEMENT>Hurricane Aid Japan
【ケイリブ・ジェームスのバンド、フェイトのライヴ】

ロック。

毎度、お世話になってるケイリブ・ジェームスの自分の実験的バンド、フェイトのライヴが渋谷プラグでありのぞいた。実はこの日はブラック・アイド・ピーズでも行こうかなと思っていたが、チケットについて尋ねたら、なんと発売2週間前からものすごい問い合わせですぐに売り切れて、まったく残っていないという。どうにも入れないということなので、急遽、渋谷に変更した。

このところ、毎月やっているライヴだが、前々回のライヴではケイリブの調子が悪く、彼はまったく歌わず他のミュージシャンが代打で歌っていたが、今回は全編ケイリブの歌でまとめられた。

それにしても、かなりロック色が強いバンドだ。ドラムス、ギターは完全にロック系、ベースのレンジーとケイリブはかなりブラック系。まだケイリブも本格的にどのような方向性がいいのかは、確信がない。オルタナティヴ・ロックとか、そうした雰囲気か。

印象に残ったのは、元コーザノストラの鈴木桃子さんがフィーチャード・シンガーとして登場した「イエロー・ブリック」と、「ベター・プレイス」。この日のセットリストの中で、僕は個人的にはこれらが気に入った。

ロック要素のあるブラックバンドというと、リヴィング・カラーなどがあるが、このフェイトは、ロック感覚にファンクの要素をいれたい、というところなのだろう。

それにしても、ふだんピアノバーで弾き語りを中心に聞いている彼のこうした作品は実に興味深い。

Phate Setlist

show started 20:23
01. Everybody Falls
02. Molly Polly
03. Drive
04. Electrified
05. In My Shell
06. Rubber Man
07. Gravity
08. Yellow Brick (with Momoko)
09. Better Place (with Momoko)
10. Star
Enc. Lose It All
show ended 21:36

(2005年9月15日金曜、渋谷プラグ=フェイト・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Phate
【ベイビーフェイス・ライヴ】

再見。

新作『グロウン・アンド・セクシー』のリリースにあわせて、ベイビーフェイスがプロモーションで来日。15日、渋谷デュオでショーケースライヴを行った。メディア、レコード店関係者、ラジオ番組からのリスナーなどで満員になった。

8時スタートなのに、7時15分には着いてしまった。中に入るとなんとあの泉山真奈美女史とアドリブ八田編集員が前の真中の席に座っている。ちょうど横があいていたので、そこに陣取り、しばし雑談。結局、ショーが始まったのが8時20分すぎだったので、1時間近く彼らや他のお久しぶりの方々と話してしまった。泉山氏、アドリブ用に前日にインタヴューしたという。ちょうど八田さんが、アドリブの10月号(9月19日発売)を持っていて、これは表紙がベイビーフェイスで、ロスでのインタヴューを掲載している。

バンドの編成はキーボード、パーカッション、ベース、ギター、そして、ベイビーフェイス。ベイビーフェイスはギターも弾く。彼がいうところの、これは「アコースティック・セット」だ。

こうした小さくインティメートな会場でのライヴは、さすがにいい。前作発売時のショーケースもよかったが、今回も1時間強楽しめた。

「僕は何度もたくさん書いた曲の中でどれがお気に入りかと訊かれてきました。今までは、特にこれ一曲というのを選ぶことはできなかったんですが、この曲を書いてからはこれって言っています。『ザ・デイ』という曲です」 こう解説してから、キーボードのやさしいイントロが流れだし、名曲「ザ・デイ」が始まった。これがベイビーフェイスで歌われるのは日本初。本人の思い入れも強いせいかとても感動的なできに仕上がる。

毎度おなじみヒット曲メドレーでは、冒頭でアフター7の「レディー・オア・ノット」を。そして、フェイスが呼び込んだのがそのアフター7のメンバーであり実兄のケヴォン・エドモンズ。観客席から歓声があがる。眼鏡をかけたケヴォンは、いきなり全開で「レディー・オア・ノット」から、ボーイズ・トゥ・メンのヒット「アイル・メイク・ラヴ・トゥ・ユー」、「エンド・オブ・ザ・ロード」まで参加。

また、冒頭でギターを爪弾いていたベイビーフェイスは、「チェンジ・ザ・ワールド」で再びギターを抱えた。このとき彼は「今日、僕はある若者に会いました。そこで、一緒に次の曲をやろうということになりました」と言って日本の2人組、ケミストリーを紹介した。とても珍しいベイビーフェイスとケミストリーとのジョイントになった。彼らにとってベイビーフェイスとデュエットしたのは、良き思いでとなっただろう。

アンコール2曲目。「この曲がショーの最後には完璧だと思うので、いつもこれで終えている」といって歌い始めたのが、「ホエン・キャン・アイ・シー・ユー・アゲイン(いつまた会えるかな)?」。

ベイビーフェイスにまた会えるのはいつかな? 

Setlist

video started 20:22
show started 20:26
01. Grown & Sexy
02. Everytime I Close My Eyes
03. Never Keeping Secrets
04. The Day
05. Ready Or Not (+Kevon)
06. I’ll Make Love To You (+Kevon)
07. End Of The Road (+Kevon)
08. Whip Appeal
09. Change The World (+Chemistry)
Enc1. Sorry For The Stupid Things (+Kevon)
Enc2. When Can I See You Again
show ended 21:34

+++++

2001年10月2日
ベイビーフェイスを育んだもの
http://www.barks.jp/feature/?id=52256021
(ベイビーフェイスのインタヴュー記事、お勧めです)

2004/11/11 (Thu)
Babyface; Just Another One Night Gig: You Owe Me One, ’Face
2004年11月のベイビーフェイスのライヴ評
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200411/diary20041111.html

(2005年9月15日木曜、渋谷デュオ=ベイビーフェイス・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Babyface
(Part 1から続き)

2003/06/13 (Fri)
Luther is out of his coma?
昏睡状態から脱す
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030613.html

2003/06/14 (Sat)
Now it’s official: Luther is out of ICU
集中治療室を出る
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030614.html

2003/06/20 (Fri)
Luther’s Album Made No.1 For The First Time In His Life
ルーサーの新作、アルバム・チャートに1位初登場
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030620.html

2003/06/21 (Sat)
Dance With My Father: Complete Japanese Translate Version
「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」完全訳詞
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030621.html

2003/07/19 (Sat)
The Power Of Love For Luther Vandross
ビデオに友人シンガーたち登場
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200307/diary20030719.html

2003/08/13 (Wed)
Luther: Because It Has His Soul In His Song
何も知らずとも泣けてくる「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200308/diary20030813.html

2003/09/05 (Fri)
Luther Live Album Due Next Month
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200309/diary20030905.html

2003/11/18 (Tue)
Luther Vandross’ First Live Album Ever: Love Story For 75 Minutes Long
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200311/diary20031118.html

2004/02/11 (Wed)
Another Side Of "Dance With My Father"
「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」もうひとつの物語
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200402/diary20040211.html

+++++
【ルーサー・トリビュート10月26日発売】

差し替え。

CDをプレイヤーにかけるといきなり、メアリーJの語りが入る。「1981年のある日、ラジオからこんなサウンドが流れてきた」 そして、始まるあのギターの響き。「ネヴァー・トゥ・マッチ」のあのリフだ。

ついに到着。ルーサー・ヴァンドロスへのトリビュート・アルバム『ソー・アメイジング〜オールスター・トリビュート・トゥ・ルーサー・ヴァンドロス』。いよいよ全米では9月20日、日本では10月26日発売になる。はやく次の曲を聴きたいが、今なっている曲もじっくり聴きたいという相反するうれしい焦りが心にうずまく。こんなアルバムは久しぶりだ。

アッシャーの「スーパースター」、ビヨンセ&スティーヴィーの「ソー・アメイジング」、アレサの「ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」、ルーサーの「エニワン・フー・ハド・ア・ハート」にデュエットの形で録音したエルトン・ジョン。ルーサーの遺作であり、最大のヒット「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」は、セリーヌ・ディオン。

アレサもまた、曲のイントロでルーサーへの一言をナレーションぽくいれている。これには、ノックアウトさせられる。どれもルーサーを思うとき、熱くなるトラックばかりだ。

こうやって全15曲を聞くと、実にいい曲ばかり。というのも15曲中9曲までがルーサーが他の誰かの作品をカヴァーしたものをカヴァーしているからだ。ルーサーのカヴァーのうまさが光るといってもいいだろう。これは売れる。またまたアルバム・チャート初登場1位だろうか。数あるトリビュートの中でも、実に密度の濃いすばらしい作品だ。

ところで、このアルバムについては、ソウル・サーチン・ダイアリー8月11日付けで収録予定曲を紹介した。

August 11, 2005
Luther Tribute Will Be Out On September 20
http://blog.soulsearchin.com/archives/000441.html

だが今回、リリースされるものと照らし合わせると、微妙に曲が変更になっている。ここで、比較検討してみよう。先に発表された作品は17曲、そこから8曲が落ち、今回新たに6曲が加えられ、最終的には計15曲となった。落ちた8曲が完全にレコーディングされたのか、企画だけで終わっているのか確定的なことは言えないが、ほぼレコーディングはされているものと思われる。ひょっとして、ヴォリューム2などの企画がでてくるのかもしれない。

8月11日付けで紹介した収録予定曲(##が今回のリストから落ちた曲)

Fantasia- ’Til My Baby Comes Home
Usher- Superstar
Angie Stone- Since I Lost My Baby
Wyclef Jean- Always and Forever
Babyface- If Only For One Night
Mary J. Blige- Never Too Much
Aretha Franklin- A House Is Not A Home
John Legend- Love Won’t Let Me Wait
Celine Dion- Dance With My Father
(以下が没曲)
Janet Jackson- The Glow Of Love ##
Ruben Studdard- So Amazing ##
Stevie Wonder- My Love Is On Fire ##
Val Young- Here and Now ##
Jaheim- Bad Boy/Having A Party ##
Monica- Any Love ##
Rod Stewart- Heaven Knows ##
Mariah Carey- Power of Love/Love Power ##

今回アルバムに収録される曲。(**今回新たに入った曲)

SO AMAZING: Final Track listing

01. Mary J Blige - Never Too Much
02. Usher - Superstar
03. Fantasia- ’Til My Baby Comes Home
04.**Beyonce & Stevie Wonder - So Amazing
05. Aretha Franklin- A House Is Not A Home
06.**Donna Summer - Power Of Love
07.**Alicia Keys Featuring Jermain Paul - If This World Were Mine
08.**Elton John & Luther Vandross - Anyone Who Had A Heart
09. Celine Dion - Dance With My Father
10. Wyclef Jean - Always and Forever
11. Babyface - If Only For One Night
12.**Patti LaBelle - Here & Now
13. John Legend - Love Won’t Let Me Wait
14. Angie Stone - Since I Lost My Baby
15.**Jamie Foxx - Creepin’

このふたつのりストをよく見ると、たとえば、ルーベンで歌われた「ソー・アメイジング」がスティーヴィーとビヨンセという強力コンビにとってかわられ、そのかわり、スティーヴィーの楽曲が落ちた。一方、「ヒア・アンド・ナウ」は、ヴァル・ヤングというシンガーから、パティー・ラベルのものへ。前回の記事で収録予定のアリシアの曲がリストにはいっていないと書いたが、アリシアがここで復活した。ジャネットはルーサーとデュエットしているが、「グロウ・オブ・ラヴ」が没は痛い。また、ルーサーとは縁もゆかりも深いロバータ・フラックの曲がないのは不思議だ。ロバータはこういう企画にはいつものらないのだろうか。同じレーベルのディオンヌ・ワーウィック、また、ルーサーのアイドル、ダイアナ・ロスもはいっていないのは不思議といえば不思議。

ファンとしては、こうなると、没になった6曲がどうしても聴きたくなる。各アーティストのアルバムのボーナストラックなどに使われるようになるのだろうか。

もちろん、どの曲もいいのだが、アレサ・フランクリンが親友「ヴァンドロス」に向けて歌う「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」は、特に熱いソウルがある。しばらく僕のCDプレイヤーのヘヴィー・ローテションまちがいない。

■ルーサー死去以降の関連記事

July 02, 2005
(速報)ルーサー・ヴァンドロス死去
http://blog.soulsearchin.com/archives/000363.html

July 03, 2005
Luther Vandross Died At 54: Reunited After 46 Years With His Father
ルーサー54歳で死去〜父と46年ぶりの再会
http://blog.soulsearchin.com/archives/000364.html

July 05, 2005
Luther Tribute Continues: Luther’s Room Is Not A Home
結婚しなかったルーサーの部屋は、家庭にならず
http://blog.soulsearchin.com/archives/000369.html

July 06, 2005
Luther Vandross Talks In Brooklyn Accent
ルーサーの思いで〜ブルックリン訛り
http://blog.soulsearchin.com/archives/000370.html

July 10, 2005
Luther’s Funeral Was Celebration
http://blog.soulsearchin.com/archives/000378.html

August 11, 2005
Luther Tribute Will Be Out On September 20
http://blog.soulsearchin.com/archives/000441.html

■死去以前・ルーサー・ヴァンドロス関連ソウル・サーチン日記

2003/04/25 (Fri)
Luther Vandross’ Condition Critical, But Stable
倒れた時の第一報
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200304/diary20030425.html

2003/05/05 (Mon)
Luther Is Still Alive
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030505.html

2003/05/15
Luther Still Unconcious: But Mother Confident of Recovery
ルーサー、依然 昏睡状態。母親は回復に自信
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030515.html

2003/05/22 (Thu)
Aretha sung "Amazing Grace" for Luther
アレサ・フランクリン、「アメージング・グレイス」で全快の祈り 捧げる
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030522.html

2003/05/29 (Thu)
Promotional Talk
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030529.html

2003/06/13 (Fri)
Luther is out of his coma?
昏睡状態から脱す
http://www.soulsear
【ピーボのバラは、レディーズのみ】

上手。

「ちょうど今日、結婚したばかりのカップルがいます。まさに今日結婚したの? わお! 結婚した日に、僕と一緒に過ごしてくれるのかい。なんとうれしいことだろう。名前は? 向こうのコーナーに、カリフォルニアに結婚式をあげにいくカップルもいます。次の曲はそんなあなたたちに捧げます」と言って歌い出したのが、「トゥナイト・アイ・セレブレイト・マイ・ラヴ」。一緒にロバータのパートを歌ったのは、ちょっとトニ・ブラクストン似のレジーナ・トゥループ。

暗転しバンド演奏が始まってから、いつものとおり、約10分かけて観客全員と握手をしてから、ステージにあがる「ミスター・エンタテイナー」「世界一腰の低いソウルシンガー」「世界一日本語をよくしゃべる歌手」そして、「ミスター・ジェントルマン」ピーボ・ブライソンの約2年ぶりのライヴ。今回は東京3日間のみ。

歌については、もう言うことはない。前回のライヴ評ですべてを言い尽くしている。上手という言葉以外ない。

2003/10/01 (Wed)
"I’m Your Servant" Peabo Bryson Shook Hands With Every Audiences
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/diary20031001.html

そうだ、前回は「私はあなたの僕(しもべ)です」なんて言ってた。

この日のちょっとしたサプライズは、シャーデーの作品やクラプトン「チェンジ・ザ・ワールド」の時に、ピーボがギターを持って、弾き語りっぽくやったこと。おお、いつのまにか練習したのか。(笑) 

さて、その「チェンジ・・・」を終えた後、音楽ディレクターのドゥワイト・ワトキンスらと話をして、ある曲をやることになった。「この曲は大好きなんだけど、今まで人前でやったことないんだ。ちょっとやってみます」 始まった曲は、なんと「ディス・マスカレード」。レオン・ラッセル(11月来日決定。詳細後日)の作品で、ジョージ・ベンソンで大ヒットした曲だ。途中、ギターのデレク・スコットとピーボのヴォイスのバトルがなかなかのものだった。こういうスポンテニアスな感じはいいなあ。

「ホール・ニュー・ワールド」の時はもうひとりの女性シンガー、キム・ライリーとデュエット。ピーボはありとあらゆる女性シンガーと歌ってきたデュエット・キングでもある。そして、赤いバラを投げたり、手渡したり。でもバラを渡す相手は女性のみ。ところで、キムはプリンスの作品で歌っているという。

ピーボがイントロで観客と握手をしている間から、実にパワフルなドラムがなっていたので、そのドラマーのことが気になった。そこで、ライヴが終わった後、客席にでてきていたところをつかまえ立ち話をしてみた。やはり、前回とは違う人で、なんと最近ピーボのバックバンドに入ったという。ニックネームはKB。ケメリン・ブララークの略だ。彼はアトランタ出身の30歳。ピーボのスタッフが地元でライヴをやっているところを見てバンド入りした。

もっとも影響を受けたドラマーは、デニス・チェンバースだという。それを聞いて納得した。まさにそのような火のでるようなドラムだった。だから、バラード・シンガーのピーボにはちょっと派手すぎるかもしれないのだが。まあ、いい。(笑) 数人で自分のバンド、その名も「アーバン・ソウル」というグループを持っていて、いま、レコーディング中だそうだ。歌は何人かゲストシンガーをフィーチャーするという。

デニチェン好きのドラマーとなれば、これはちょうど偶然ライヴを見に来ていたカルタさんを紹介しないわけにいかない。「日本のパワフル・ドラマーですよ」「どんな音楽?」「ジャズ・ファンクかな」 「ところで、ひとつ質問があるんですが」とカルタさん。「スネアの音がものすごくよかったんですけど、何を使ってるんですか」 すると、KB「おお、じゃあ、見せるよ」と言ってスタスタとステージの方へ。スネアをはずして、「ヤマハの〜だよ」とあとは、専門家同士の会話で、僕はわからず。(笑) KB「君のプレイが見たいな」「え〜と、明日は横浜でライヴです」とカルタさん。「そこは遠いのか?」「うむ、ちょっと遠いですね。(笑) あなたもここでライヴだし」 KBのプレイを最初に見た瞬間、カルタさん系だなと思ったので、これはまた不思議な縁でした。

+++++

Setlist (曲名、ヒット年ーヒットさせた人または、オリジナルを歌っている人)

show started 21:42

01. By The Time This Night Is Over (1993-Peabo Bryson)
02. If Ever In You’re In My Arms Again (1984-Peabo Bryson)
03. Tonight I Celebrate My Love (1983-Peabo Bryson & Roberta Flack)
04. If You Love Somebody Set Them Free (1985-Sting)
05. King Of Sorrow (2000-Sade)
06. Change The World (1996-Eric Clapton)
07. This Masquerade (1976-George Benson)
08. Show & Tell (1973-Al Wilson, 1989-Peabo Bryson)
09. Whole New World (1992-Peabo Bryson & Regina Belle)
Enc. Ain’t Nobody (1983-Rufus, 1999-Peabo Bryson)

show ended 23:08

ブルーノートウェッブ(今回)
http://www.bluenote.co.jp/art/20050913.html

ブルーノートウェッブ(前回)
http://www.bluenote.co.jp/art/20030929.html

(2005年 9月13日火曜、東京ブルーノート・セカンド=ピーボ・ブライソン・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Bryson, Peabo
【『ソウル・トレイン』終了へ】

終了。

東京のFM局Jウェイヴで毎日深夜に放送され、人気を集めていた『ソウル・トレイン』(毎週月曜〜金曜24:30-25:00=DJリュー)が2005年9月30日の放送で終了することになった。9月12日(月曜)深夜の生放送番組内でリュー本人が発表した。同番組は99年4月からアメリカの人気テレビ番組『ソウル・トレイン』と提携しスタート。毎日1時間半生放送で、ソウル、R&B、ヒップホップの作品をかけたり、そうした作品に関連するアーティストたちを招いて紹介してきた。6年半で終了ということになる。リューも番組内で「悔しいけど、that’s life(それも人生)」とコメントした。リューは、これが生放送であるために、決まりを決めずに徹底的にフリースタイルでやることを信条としていた。リューは、10月から始まる深夜帯の新番組の一曜日にDJとして登場する方向。

いわゆるラジオ番組の『ソウル・トレイン』は、本家アメリカのテレビ『ソウル・トレイン』からお墨付きをもらった唯一の番組。また、「ソウル・トレイン・プロジェクト」としては、ラジオ番組の『ソウル・トレイン』のほかに、お台場にできた「ソウル・トレイン・カフェ」(2002年2月閉店)、ファッション・ブランド「ソウル・トレイン」などもあったが、すでに撤退しているために、このラジオ番組『ソウル・トレイン』の終了によって、「ソウル・トレイン・プロジェクト」は、表立つものがなくなることになる。

アメリカのテレビ番組『ソウル・トレイン』は、シカゴのDJドン・コーネリアスが人気テレビ音楽番組『アメリカン・バンドスタンド』のソウル版を作ろうと1970年に始めたプログラム。レコードに会わせて観客が踊るシーンと、基本は口パク(リップシンク)でゲスト・アーティストが歌うというシンプルな構成で、アメリカのソウル・ミュージック・シーンに大きな影響を与えた。当時は、なかなか黒人アーティストがテレビに出ることができなかった時代にソウル専門で人気を集めた。

99年4月、ドン・コーネリアスのお墨付きで番組をスタート。東京の空に毎夜数多くのソウル、R&B、ヒップホップの作品を流した。生ゲストも多数出演。ゲストがライヴを見せたことも多々あった。これで深夜の名物音楽番組がひとつ消えることになる。

『ソウル・トレイン』について書いたコラム
http://www.soulsearchin.com/periodical/l&;;g07.html;

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ソウル魂。

このニュースを聞いたときには、ひじょうに残念に思った。唯一の帯のソウル番組がなくなってしまうのだから。リューと初めて会ったのは、99年3月、『ソウル・トレイン』の番組およびさまざまなプロジェクトの発表の席。一般記者会見が終わった後、プロジェクトのコーディネートをされていた江守アイ氏に紹介された。その後も、いろいろなライヴで顔をあわせるようになり、何度か番組にも遊びに行き、ゲストで出演したこともある。

確かに10年くらいは続いてほしかったが、まあ、しょうがないというか。3月にスポンサーがおりて、4月からノー・スポンサーでやっていたようで、それもひとつの要因になったのかもしれない。しかし、毎日1時間半の生の音楽番組というのは、これは強い。新譜でも解禁日にかけられるし、どこよりも早くかけることが可能だ。また、ゲストも来やすい。深夜でスタジオに来るのが厳しければ、ホテルにインタヴューをとりにいけばいい。しかも、ソウル、R&B、ジャズまでカヴァーするから、これもおもしろい。宇宙飛行士の毛利さん、日本のヴェテランまでゲスト出演していた。

『ソウル・トレイン』については、一度、新幹線のグリーン車に乗っていた雑誌L&G誌の「車窓を奏でるメロディー」のコラムで書いた。このコラムは、鉄道にからんだ曲について、何か書くというシンプルなもので、音楽雑誌と違って、かなり幅広い方から「読んだよ」という声をいただいた。電車関係の曲ということで、「ソウル・トレイン」はもってこいのテーマだった。

まあ、『ソウル・トレイン』のラジオ番組は終わったところで、リューのソウル魂(あえて、ソウル魂と書く=笑)はずっと熱いままでいるだろうから、ずっとソウルし続けてくれ。僕もソウル・サーチンし続けるので。

ENT>RADIO>Soul Train
【ソウル・サーチャー投票に行く】

投票。

日曜午後、投票に行こうと思ったら、ものすごい豪雨。バケツをひっくりかえしたような雨脚にさすがになえてしまい、とりあえず、『ソウルブレンズ』へ。番組では、シン・スンフンさんをご紹介し、6時過ぎに解散。

次の予定が7時すぎに目黒食堂だったので、その前に、投票所へ行くことにする。本当は、昨日までに不在者投票をしておこうと思ったのだが、昨日、なんとなくいきそびれていた。

さて、会場の第二日野小学校に近づくと、このエリアは普段の日曜には人などほとんど歩いていないのにやけに人が多い。会場は、現在この小学校を改築中のため、仮校舎になっていてちょっとプレハブ風。入口から、はいっていくと、まず郵送でおくられてきた投票券を出す。受付の女の子が住民台帳のようなものを、僕に見えないようにそっと確認する。券にチェックして「そちらにどうぞ」といわれて、次に進むと小選挙区用の投票用紙を渡された。

小さな机の横には仕切りがあって、鉛筆が置いてある。壁に候補者の名前が3人書いてある。そこでひとりの名前を書いて、投票箱にいれる。その投票するところをちょっと離れた椅子に座っている3−4人の人が監視している。

それを投票箱にいれると、もうひとつ別の机があって、こんどは比例区の投票用紙と裁判官の信任の用紙を渡される。このとき、僕が家から持っていった投票券は回収された。比例区は党の名前を書く。やはり、机のところに各党の名前が書いてある。党の名前を書いて、信任のほうは、よくわからないので、何も書かずに投票箱にいれた。ところで、なんで一度に3枚の投票用紙を渡さないのだろうか。たしかに3枚もあると、混乱するからかな。比例の用紙に、小選挙区の候補の名前を書いたりするからか。まあ、そういうことなのだろう。

出口のほうに進むと、監視している人から「ありがとうございます」と言われた。う〜む。「おつかれさま〜」ならわかるが、「ありがとうございます」っていうのは、どうなんだろう。(笑) まあ、貴重なお時間をさいていただいて、投票にきていただいてありがとうございます、ってことだろうか。もちろん、何も言われないより気持ちいい。

以上、ものの5分もかからなかった。もっとじっくり、ゆっくりエンジョイしてくればよかったかなあ。ソウルを探しに投票所に行ってみたが、さすがにひとかけらのソウルはなかった。ただ、一番感じたことは、小泉首相のキャッチフレーズのうまさだ。今回の選挙はそれに尽きる。


ESSAY

Al Cooper Will Be In Tokyo

2005年9月11日
【アル・クーパー10月に来日】

先駆者。

ブラス・ロックの創始者とも言われ、60年代後期から70年代初期のロック・エイジを切り開いた鬼才、アル・クーパーが10月に来日する。

アル・クーパーは1944年2月5日ニューヨーク生まれ。幼いころから、ブルース、ゴスペル、R&Bなどに親しみ、1959年にロイヤル・ティーンズというグループにギタリストとして参加。その後セッション・マンとしても活躍。1965年、ボブ・ディランの『追憶のハイウェイ61』のレコーディングにオルガン奏者として参加。シングルヒットにもなった「ライク・ア・ローリング・ストーン」の印象的なオルガン・プレイはアル・クーパーのもの。

その後、ブルース・プロジェクトというブルースに根ざしたロックグループに参加、さらに67年、ブラス・ロック・バンドの草分けとも言われるブラッド・スウェット・アンド・ティアーズを結成した。グループは次々とヒットを飛ばしたが、アル・クーパー自身は、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディランなど多くのロック・アーティストとも共演し、ロック史上に残るアーティストとなった。アル・クーパーは白人ブルース・バンドの先駆者的存在でもある。

ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズの69年の大ヒットのひとつ「ユーヴ・メイド・ミー・ソー・ヴェリー・ハッピー」は、モータウンの女性R&Bシンガー、ブレンダ・ハロウェイの作品のカヴァーだった。

73年にリリースしたソロアルバム『赤心の歌』から、「ジョリー」が日本のテレビCMに使われ人気となった。

2005年7月には、約30年振りとなる久々のソロ・アルバム『ブラック・コーヒー』をリリースしている。来日は2003年のソロ以来2年ぶり。

■アル・クーパー
AL KOOPER & the Funky Faculty-The Black Coffee Tour 2005           

2005年10月5日(水)、6日(木) 東京国際フォーラム ホールC

チケット代; SS席 9,000-/S席 7,000-/A席 5,000-(全席指定)

主    催;テレビ朝日、PARCO、J-WAVE,ニッポン放送
協    力;?ソニー・ミュージックダイレクト
企 画 制 作;カンバセーション

≪チケットのお取扱≫ チケットぴあ    0570-02-9999(Pコード:205−739)
             イープラス     http://eee.eplus.co.jp
             ローソンチケット  0570−063−003(Lコード:38120) 0570−000−403(オペレーター対応)
             カンバセーション  03−5280−9996
【私の言葉は、音楽】

言葉。

思わぬ発見は、予期せぬときにやってくる。毎日新聞の「楽庫」の会(2005年4月)でライヴを見たユニット、ピアニン・プランが目黒ブルースアレーでフルライヴを行うという案内をもらい出向いた。ピアニン・プランは、ピアニストの井上ゆかりさんがリーダーとなり、何人かを集めてやっているユニット。井上さんはもともとクラシックから入り、ジャズに魅せられ、最近はジャズやポップスも弾く。とても優雅にピアノを弾く姿はさすがルーツにクラシックがあるせいか。

今回驚いたのが、フィーチャード・ヴォーカルで歌ったデイナ・ハンチャードというシンガー。ニューヨーク出身の女性シンガーで、タイプで言うとロバータ・フラック、カサンドラ・ウィルソン、ダイアン・リーヴス、あるいはオリータ・アダムス系の、ちょっとインテリ女性シンガー風。彼女がなかなか存在感を見せていた。これはなかなかの発見だった。

圧巻だったのは、セカンドセットの曲。まず、デイナのオリジナル曲「ゴッサム・シチリアーン」は、彼女がボビー・マクファーリンか、アル・ジャロウになったかのようなヴォーカルが見事。続いて井上さんのオリジナル曲「ミッシェル・ミッシェル」をデイナが歌った。この曲は、井上さんが愛してやまないピアニスト故ミッシェル・ペトリチアーニに捧げた作品で、二人だけでパフォーマンス。これも、二重丸! そして、日本の「りんご追分」をデイナが日本語で披露。これまた、聞き物になった。最後に「枯葉」を歌うが、このアレンジには驚かされた。

「枯葉」のアレンジは誰が、と井上さんに尋ねると、「今日、本番前に適当にヘッドアレンジで。みんなが知ってる曲なので」という。いやあ、それはすごい。それぞれのソロが展開され、聴く側の集中も高まった。

深町純さんが、「いい演奏で歌えば、歌がうまくなるんです。歌がうまく聞こえるようになる。だから、カラオケなんてものは、やっちゃいけないんだ。歌はいい演奏で歌わなければならない」と口をすっぱくして言う。完全に同意するが、この日感じたことは、「いい歌がそこにあれば、演奏も引きずられてうまくなっていく」ということだ。これこそがミュージシャンシップであり、ある種の化学反応だろう。つまり、デイナの集中力の高い歌唱に、演奏家たちの集中力がどんどんと高くなっていったのだ。「りんご追分」「枯葉」あたりのパフォーマンスは、第一部とはまったくちがっていた。

そして、もう一点、ミュージシャン、あるいは、ユニットの中のリーダーもしくは「精神的支柱」というものが、いかに重要かとも感じた。アメリカのグループ、アレステッド・ディヴェロップメントにババオジェイというお爺さんが参加している。ステージで何をするわけでもない。ただそこにいて、ぶらぶら踊っているだけだ。最初はなぜ彼がそこにいるのかよくわからなかったが、アレステッドのリーダー、スピーチが彼は「われわれの精神的支柱」だと言ったとき、なんとなく意味がわかった。徐々にグルーヴ感が高まってきた「枯葉」を聴きながら、デイナのもつ音楽家としての教養の高さ、音楽家としてのリーダーシップ、そして、精神的支柱としての存在性を強く感じた。

デイナとライヴが終わった後、ちょっとだけ立ち話をした。「日本語で歌うのはむずかしくない?」「私は今まで、日本語以外でもフランス語、スペイン語、ポルトガル語なんかでも歌ってきた。もちろん、発音のちょっとしたむずかしさはあるけれど、本質的には言語・言葉(language)は、関係ないわ。私の言語・言葉はミュージックよ」と言いきった。あらゆるタイプの音楽を聴き、しかし、特定のフェヴァリット・アーティストはいない、という。彼女は、現在洗足学園で音楽を教えるために日本に来て約2年。もともとクラシック、オペラなども歌っていたという。時々、都内近郊のライヴハウスでライヴを行っている。近々だと、10月7日に横浜のモーションブルーでオリジナルばかりを歌うライヴがある、という。これは行きます。

Setlist, Pianin Plan @ Blues Alley

1st set

1. I Hear Music
2. When I Fall In Love (Nat King Cole)
3. Norwegian Wood (Beatles)
4. Moon Rabit (original by Inoue Yukari)
5. Sweet Lorraine
6. Windy (Association)
7. So In Love (Cole Porter)

2nd Set

show started 21.18

1. Pavane (Faure)
2. Gothem Siciliana--Beautiful City-- (Dana Hanchard)
3. Michel, Michel (Inoue Yukari)
4. 愛の夢
5. I Love You Porgy (Cole Porter)
6. Vera Cruz
7. リンゴ追分
8. Autumn Leaves
Enc. ドラリス(ドリー・カイミー)
show ended 22.37

■メンバー

ピアニン・プラン(Pianin Plan)

井上ゆかり(ピアノ)
デイナ・ハンチャード(Dana Hanchard)(ヴォーカル)
ミーヤ(フルート)
はたけやま裕(パーカッション)
加藤真一 (ベース)

ピアニン・プラン公式ウェッブ
http://www.pianin.com/index_main.html

デイナ・ハンチャード・ウェッブ
http://www.danahanchard.com
(ただし、最近はほとんど更新していませんがバイオ、ディスコグラフィーなど充実。英語です)

(2005年9月8日木曜、目黒ブルースアレー=ピアニン・プラン・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Pianin Plan

Agassi Legacy Continues:

2005年9月9日
【アガシ、2セットダウンから奇跡の勝利】

超現実。

昨日(8日)の朝、WOWOWでは全米オープンの準々決勝の試合をニューヨークから生中継で放送していた。35歳のアガシと25歳のブレイクの対戦だった。ひさびさに見ごたえのある感動的な試合だった。

途中から見たのだが、その時点ですでに0-2でアガシが負けていた。2セットを終えて、試合はわずか62分しかたっていなかった。このままアガシが負けるのかと思っていたら、第3セットをアガシが取り、さらに第4セットもとって2-2にした。ブレイクが最初は圧倒的に強くてとてもアガシは勝てそうになかったが、2-2になったあたりではかなりいい勝負になっていた。

第5セットは一進一退だったが、第3、第4でアガシにやられっぱなしだったブレイクが第1セットのような力を盛り返し、第5ゲームでアガシのサーヴィスをブレイクし3-2とし、そのままいって5-4でブレイクのサーヴィン・フォー・ザ・マッチとなった。このままブレイクがサーヴィスをキープすれば、準決勝進出となる。

ところが、再びアガシがここで奇跡的パフォーマンスを見せ、ブレイクバックするのだ。結局5-5からお互いサーヴィスをキープし6-6となり、タイブレイクへと突入した。

すでにナイトセッションの時計は深夜1時をまわっていた。2万の観客はまだ残っている。タイブレイクもミニブレイクの応酬となった。アガシからサーヴィスが始まったがいきなりミニブレイクされ、ブレイクがサーヴィスをキープしブレイクの3-0に。その後アガシが3ポイント連取し、3-3.アガシから見て3-4、4-4、4-5となり、ブレイクのサーヴィス・ゲームに。2本サーヴィスをとれば、ブレイクの勝利。ところが10ポイント目、ブレイクのセカンドサーヴをアガシは満身の力をこめクロスにリターンエースを決め、5-5に戻す。さらに、ブレイクの次のサーヴィス・ポイント、ブレイクの決めにいったダウン・ザ・ラインがわずかにアウト。しゃがみこむブレイク。6-5でアガシにマッチポイントがきた。

そして、アガシのサーヴィス。第12ポイント目、ブレイクはさっきオーヴァーしたのとほぼ同じようなダウン・ザ・ラインをもう一度打ち込み、ポイントをとったのだ。6-6.振り出しに戻る。アガシが次のサーヴィスポイントを決め7-6となり、再びマッチポイント。しかし、サーヴはブレイク。ブレイクのファーストサーヴは入らない。セカンドサーヴをアガシが強打でリターン。ボールはブレイクの横を通り抜けていった。2時間51分のドラマに幕が降りた。

それにしても、なぜ、どうして、あんなプレイができるのだろうか。超人としかいいようがない。がっぷりよつのぶつかり合いは真の感動をもたらす。最後はアガシが勝っても、ブレイクが勝っても、どちらが勝ってもおかしくなかった。ほんの1ポイントか2ポイントだけ、アガシが多く取ったというだけだ。アガシはインタヴューでこう答えた。「夜中の1時15分に2万人がここにいる。こんなきもちいいことは初めてだ。僕は勝者じゃないよ。テニスが勝者だ」

アガシは今、自分のテニス・プレイ自体を「シューリアル(超現実)だ」と語る。彼自身がコートの上でテニスをし、見事なパフォーマンスを見せることが、考えられないことだと感じている。「自宅でウインブルドンを見ていたときは、自分が再びプレイできるかどうかわからなかった。だから、今こうしてこのコートに立てていることに驚嘆する」とさえ言う。

アガシにとって、20回目の全米オープン、そして、全米オープンにおける93回目の試合だった。94回目と95回目の試合に連続して勝てば、優勝だ。水曜の夜に始まったドラマが木曜の朝に終わった。新たな伝説を残して。次のドラマは金曜と日曜になるはずだ。アガシ自身が超現実だ。

SPORTS>TENNIS>USOPEN>2005
【マイケル、カトリーナ犠牲者への作品を録音へ】

基金。

マイケル・ジャクソンがハリケーン・カトリーナの被災者のためのチャリティー曲をレコーディングする。仮題で、「フローム・ザ・ボトム・オブ・マイ・ハート」と題された作品で、多くのスターたちにレコーディングの参加を呼びかけている。マイケルにとっては、85年の「ウイ・アー・ザ・ワールド」と同様のオールスター参加の作品にしたいようだ。

マイケルは現在、以前所属していたソニー・レコードとの契約が切れており、バーレーンの石油富豪の資本からなるレコード会社からこのシングルをリリースする予定だ。マイケル・ジャクソン本人は現在はアメリカを離れバーレーンにいる模様。近くアメリカに戻ると言う。2週間以内にアメリカでレコーディングにとりかかる。

参加アーティストはまだ発表されていないが、早急にマイケル自身が直接多くのアーティストに連絡をして、参加を呼びかけるという。

なお、タイトルの「フロム・ザ・ボトム・オブ・マイ・ハート」は、スティーヴィー・ワンダーの新曲と奇しくもタイトルは同じだが、別の曲。

一方、先週金曜(2日)にテレビ番組で、カニエ・ウエストは「ブッシュ(大統領)は黒人のことなんか何も考えていない。アメリカという国は貧しい黒人たちへの手助けをできる限りゆっくりしようとしている」と発言したが、ジェイZはこの発言を完全に支持すると表明した。ジェイZは、「この国はスピーチの自由が保障されている国だ」とも述べた。

また、ジェイZはベネフィットコンサートの企画は具体的には考えていないが、ジョージ・ブッシュ、クリントンが始めた基金のようなものを作る考えはあると言っている。

NEWS ITEMS>Hurricane Katrina
【カトリーナ被災者への援助始まる】

動き。

昨日の日記で、山岸さん大丈夫だろうか、と書いたら、それを読んだ読者の方から大丈夫らしいというメールがきた。それにしても、時間がたつにつれて、このカトリーナの被害の大きさの全貌が明らかになって驚く。

アメリカでも、すでにカトリーナ被災者への基金が始まった。「ブッシュ・クリントン・カトリーナ・ファウンド」というのが設立されている。このブッシュは、現役の大統領ではなく、パパ・ブッシュのほう。

http://bushclintonkatrinafund.org 

9月10日に行われる音楽イヴェント「リアクト・ナウ、ミュージック・アンド・リリーフ」では、収益金を被災者へ寄付するという。アッシャー、アリシア・キーズ、グリーン・デイなど多数のスターたちが登場し、MTVなどで放送される。ライヴは、ニューヨーク、ロスアンジェルス、ナッシュヴィルなどから行われ、その模様が中継される。

一方、日本でもカトリーナの被災者へのチャリティーの動きがにわかにでているようだ。ソウル・サーチン・ダイアリー読者の守島さんから、すでに、神戸在住のミュージシャンの方が、被災者のための募金を集め始めた旨、ご紹介をうけた。

http://www.office-karasuma.com/katrina/

これを始めた田中名鼓美(たなか・なこみ)さんは、79年から神戸を本拠にバンド活動を始めたミュージシャン。ブルース・バンドに参加していて、彼女にとってもニューオーリンズの動向は他人事ではない。

田中さんの簡単なプロフィールは次のところに。

http://www.office-karasuma.com/musicians.html

また、このほかに、日本在住のシンガー、ブレンダ・ヴォーンさんが友人たちと何かできないかと模索中。さらに、音楽評論家の湯川れい子さんを中心としたグループもチャリティー的な動きを考え中とのことだ。詳細が決まり次第、ここでもお知らせする。

NEWS ITEMS>Hurricane Katrina
【カトリーナの被害は甚大】

ハリケーン。

このところ、CNNをつけていると、1日中ニューオーリンズを襲ったハリケーン、「カトリーナ」のニュースばかりである。日本のニュースなどでも少しは報道されたが、その比ではない。あの911以来の全番組ぶちぬきの特別報道態勢の様相を呈している。

このニュースに映る人々のほとんどが黒人で、それを疑問に思う方もいるかもしれない。だが、ニューオーリンズの街はほとんど黒人が住んでいるような地域だ。また、ジャズ発祥の地、さまざまな音楽が息づいている街でもあり多くのミュージシャンが住んでいる。

そうしたアーティストの動向もニュースとなって届いている。4日現在までのさまざまな情報をまとめてみる。R&Bのヴェテラン、ファッツ・ドミノが一時行方不明になったが、今は無事発見されて親戚のところに移動した。ニューオーリンズのファンクバンド、ネヴィル・ブラザースのファミリーも、みな、ニューオーリンズを脱出しメンフィスのホテルに滞在している、という。しかし、ネヴィルたちの自宅はそれぞれほぼ全壊状態らしい。

ニューオーリンズの著名なプロデューサー、アラン・トゥーサンは、スーパードームに集まった25000人の避難民のひとりになっていた。同地で活躍していたR&Bシンガー、アーマ・トーマスは行方が確認できていない。彼女の持つクラブ・ライオンズ・デンは、水没している。パティー・ラベルは友人をフィラデルフィアの自宅に呼び寄せ、しばし住居を提供する。ニューオーリンズ出身のジャズ・シンガー、ハリー・コニック・ジュニアは無事。ブリトニー・スピアーズのファミリーも無事だということだ。

ところで、たびたびニューオーリンズの市長がテレビに登場している。C・レイ・ナギンという人物だが、彼が興奮して話しているところを聞いていたら、ラップを聞いているような感じを持ってしまった。実にファンキーな人物だ。全米のブラック・コミュニティーで、一気に知名度をあげた人物の筆頭になるだろう。

ニューオーリンズ地区は、もともとゼロメートル地帯にあり、昨年のハリケーンで被害を受けたため、今年、堤防補強などのための予算がつくことになっていた。だが、その分の予算が急遽イラク戦争のために使われてしまい、補強がされず今回の被害が拡大した、という。

また、このカトリーナの被災者のためのチャリティー・コンサートなども、これから次々と行われるだろう。

山岸さん、ワイルド・マグノリアスのメンバーなどはどうしているだろうか。心配だ。

NEWS ITEMS>Hurricane Katrina
【シン・スン・フンと握手】

ソウルコネクション。

ソウルのアーティストをインタヴューするのは、初めてだった。ソウルといっても、韓国のソウルのシン・スン・フンというシンガーだ。次回(9月11日)『ソウル・ブレンズ』内「山野ミュージック・ジャム」のコーナーで紹介するためにコメントどりをしてきた。

ホテルのスイートルームからは、都内を一望できる。ちょうど、取材を始めようとしたとき、テーブルにあった携帯がなった。シンさんが電話にでて話を始めたのだが、その携帯の向こうの声が、ものすごく大きくて、漏れてくる。女性らしい。もちろん、韓国語でしゃべっているので、何を言ってるのはまったくわからないのだが、とにかくでかい声でしゃべってる。

インタヴューの通訳は韓国の方で、こちらの質問を彼に訳し、シンさんが話したことを日本語に訳してくれる。僕はまったく韓国語がわからない。なので、彼が話している間、本当に宇宙語を聞いているようで、どうやって、相槌を打っていいのかさえわからなかった。(でも、なんとなく、首をふんふんと振っていたが) 

よく考えてみると、僕はふだんは英語を話すアーティストにはインタヴューするが、英語以外の人とはほとんど話す機会がない。唯一覚えているのが、キューバのジャズ・ピアニスト、ゴンサロ・ルバルカバにインタヴューした時のことだ。スペイン語がまったくわからず、ほんとに何をしゃべっているのか、皆目見当がつかなかった。相手が何をしゃべっているのかわからないと、けっこう不安になるものだ。だが、できるだけ相手の目をみるようにはしないと。

インタヴューの内容は、オンエアを聞いていただくとして、唯一わかったのが、「好きなアーティスト、影響を受けたアーティストは」という問いに対しての答えの部分で、彼が「エルトン・ジョン、ビリー・ジョエル、スティーヴィー・ワンダー、クインシー・ジョーンズ・・・」と言ったとき。さすがに、この名前だけはわかった。(笑) あと日本のアーティストの名前を何人か挙げていたが、それもわかった。ただし、チューブは聞き取れなかったなあ。(苦笑)  

インタヴューが終わって、どうもありがとうと言って握手をした。スタッフが機材を撤収している間、雑談になりスティーヴィーが好きということで「スティーヴィーは95−6年に韓国でライヴをやってますよね。見に行きましたか?」と尋ねると「もちろん、行きましたよ」と。「直接、会いましたか?」「いやあ、会うことはできませんでした」「以前、インタヴューしたことがあります」「ええ? じゃあ、その手はスティーヴィーと握手した手ですか? もう一度握手してください」と言われた。シンさん、間接的にスティーヴィーと握手したことになった。(笑) 

彼は、ものすごくいい人で、やさしい感じ。好感度ア〜〜ップだ。ところで、冒頭の電話の主は、シンさんによれば「ユンソナさんです」だって。う〜む、ソウル・コネクションだな。(笑) 

ENT>MUSIC>ARTIST>Shin Seung Hun
【ひとりビージーズ、ロビン・ギブ・ライヴ】

律儀。

3人組ビージーズのひとり、ロビン・ギブがアジア地域をソロツアーしていて、その一環で日本で、しかも東京で一日だけのライヴを行った。ロビンが日本に来るのはビージーズとして来日した89年以来16年ぶりだという。僕がビージーズを見るのは、70年代・武道館以来だと思う。

国際フォーラム・ホールAに入ると、なんとステージには、フルオーケストラ用の準備が。一体、何人のオーケストラなのだろうか、と驚いた。指折り勘定するとドラムス、キーボード、ギター、ベース、パーカッションにコーラス3人という8人編成のバンドとストリングスが18人くらい、管楽器が5人、シンバル1人、アコースティックのベースが1人に指揮者という34人がロビンを支えることになる。(ステージの暗い部分に人がいた場合、カウントを逃しているかもしれませんが、30人以上のオーケストラであることは間違いありません) これは、すごい。歌うのはロビンたったひとりである。久々にこういう大規模のオケを見た。これは、歌手冥利に尽きるだろうな。

一番感銘を受けたのが、どの曲もみな短いということ。せいぜい3〜4分、だいたい5分以内で終わる。そして、ほとんどの曲を歌う前に曲名を紹介すること。「次の曲は、フランスで書いた曲です。ハウ・ディープ・イズ・ユア・ラヴ」など、ほんの一言だが、律儀に曲紹介するのだ。そして、全曲きっちりカットアウトで終わる。フェイドアウトしたり(もっともライヴでフェイドアウトはまずないが)、メドレーになったりしない。1曲をきっちり終わって拍手を受け、一言次の曲名を言い、演奏が始まる。

声はもちろんあのビージーズの声だ。ロビンはモーリスとともに双子。兄のバリーとともに、声質が似ている。ほとんどの曲がヒット曲なので、どれもおなじみだが、唯一僕が知らなかったのが、下記セットリストで16の「ユー・ウィン・アゲイン」。調べたら87年の作品で一応シングルにはなっていたが、チャートでは最高位75位ということでヒットにはいたっていなかった。またロビンのソロ「セイヴド・バイ・ザ・ベル」と「ジュリエット」も彼自身に紹介されなかったら、わからなかった。

マイクの前にほぼ直立不動で歌う姿や、サウンドから、60年代のグループサウンドを思わせた。でも、どうせなら、バリー・ギブに来てもらって、一緒に歌ってもらいたいところ。あるいは、バックコーラスをバリーやモーリス系のシンガーを使ったらどうだろうか。リードを歌うのはロビンだが、バックコーラスを一緒に聞くとなんとなくビージーズ風のコーラスが聞けるとなると、ファンとしてもうれしいのではないだろうか。

会場の前20列目までくらいは、熱狂的なビージーズファンと思われる人たちに占拠されていて、相当盛り上がっていた。さすがに、観客の年齢層はかなり高かった。後半は、後ろの席も立ち上がって、「ステイン・アライヴ」では総立ちになった。一度目のアンコールで3曲やって、一度客電がついたが、メンバーとロビンがでてきて、「もう一度『ステイン・アライヴ』をやろう」といって、「ステイン・アライヴ」の2度目の演奏が始まった。こんなのありか。(笑) 

もしリクエストができるなら、リードシンガーが違うにせよ、「ロンリー・デイズ」、「マイ・ワールド」、日本向けに「メロディー・フェア」、「トゥ・マッチ・ヘヴン」なども聞いてみたいところ。

楽屋を訪れる機会を得て、ひとつだけ聞いてみた。「バリーとは一緒にツアーにでないのですか」「いや、彼とはいろいろ一緒にやってるよ。彼のプロデュース作品で僕が歌ったり、僕のプロデュース作品で彼が歌ったり。ツアーかい? いつでも彼を『誘拐』できるよ(笑)」 となると、いずれ、バリーとロビンの二人ビージーズのライヴということも可能性があるのだろう。ただし、彼ら自身はビージーズというグループ名を封印しているので、違う名前ででてくるのだろう。

2003/01/13 (Mon)
Maurice Gibb Dies At 53
モーリス・ギブ(ビージーズ)53歳で死去
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200301/diary20030113-2.html

2003/01/14 (Tue)
Immortality: Maurice Gibb’s Soul Searchin’
永遠に。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200301/diary20030114.html

Setlist Robin Gibb At Kokusai Forum Hall A

show started 19:05
01. Emotions
02. Gotta Get A Message To You
03. How Deep Is Your Love
04. Nights On Broadway
05. I Started A Joke
06. Massachusetts
07. How Can You Mend A Broken Heart
08. Night Fever
09. New York Mining Disaster 1941
10. Holiday
11. More Than A Woman
12. Saved By The Bell (Robin’s first solo)
13. To Love Somebody
14. First Of May
15. Words
16. You Win Again (Bee Gees’ hit 1987)
17. Juliet (Robin solo)
18. You Should Be Dancing
Enc. 1. Jive Talking
Enc. 2. Staying Alive
Enc. 3. Tragedy
Enc. 4. Staying Alive
show ended 20:41

(2005年9月3日土曜、東京国際フォーラム・ホールA=ロビン・ギブ・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Gibb, Robin
【キサナドゥー、ホテルパシフィックに一夜だけ出現】

巨大。

巨大ディスコがホテルに出現。まさにそんな感じだった。麻布十番の人気ディスコ、キサナドゥーが、品川のホテル・パシフィックの宴会場を借り切って、去る9月2日(金)一日だけのディスコをオープンした。

車寄せのところに、いつものキサナドゥーの看板があって、客を迎える。入口からはいっていくと、中に4つのやぐらが組まれ、その4点の巨大スピーカーから大音量で、ディスコ・ヒットが流れている。天上からは、これまた巨大なミラー・ボールがゆっくり回転している。聞けば、日本一大きなミラーボールとか。そして、ステージバックに大きなキサナドゥーの看板。

何人くらい入っているのか、日本野鳥の会ではないので、さっと勘定することもできないが、一応2000枚はチケットが売れたというから、それくらいの人が来ているのだろう。周囲に作られたVIP席も満席になっている。そう言えば、駐車場も超満車だった。

何台ものテレビカメラがところ狭しと動き回り、そこで撮影された映像がさまざまに加工され、ステージ両サイドの大きなモニタースクリーンに映し出される。ステージ上にはもちろん、DJがターンテーブルをまわす。

かかる曲はもちろん、毎度おなじみ80年代を中心に若干の70年代ディスコヒットなども。深夜12時を過ぎても、まったく人が減る気配もなく、大盛況だ。ワンナイト・ディスコ・パーティー・アット・ホテル、というイヴェントは、これからも徐々に増えるかもしれない。

ところで、ディスコタイムの途中で、トニー・マサさんというタップダンサーが登場するとアナウンスがあり、ジェームス・ブラウンの曲がかかったが、そのタップダンサーは登場せず、ダンスの流れが止まり、しらけてしまった。その2時間後くらいに、再びタップダンサー登場が告げられ、日本人らしきタップダンサーがひとりステージにでてきたが、これがまた流れを分断し、結局しらけさせてしまった。登場しないでしらけさせ、登場して、またしらけさせ、ってこりゃあ受ける。(皮肉)

個人的には、タップダンサーといえば、最近ではセヴィアン・グローヴァーやオマー・エドワーズのパフォーマンスが強烈に印象に残っていたが、そうしたメジャークラスと比べるとあまりにお粗末。セヴィアンたちをメジャー・リーグとすれば、このパフォーマーは日本の高校野球あたりか。近くで見ていた人は、「足に怪我でもしてるのか」とまで言っていた。ディスコ・ダンスとタップ・ダンスなら、出し物としてよさそうに思えるが、どうも相性はよくなかったようだ。

それと、以前から「よいタップは音でわかる」と思うのだが、確かにそうだった。もうひとり、外国人のタップダンサーがでてきたが、こちらのほうがまだよかった。それとも、ディスコのイヴェントなんかじゃ、最初からやる気がなかったのかな。

その後、おなじみのディスコ曲が流れ出したら、また客がダンスフロアを埋め尽くした。こういうディスコ・イヴェントは、本当に、途中に何もなく、ひたすら踊れる曲をかけ続けるのが一番だ。

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■タップダンサーのライヴ評

July 29, 2005
Harlem Nights: Omar Edwards, Barefoot Tap Dancer
【裸足のタップダンサー】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_07_29.html

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(2005年9月2日金曜、キサナドゥー・アット・ホテルパシフィック東京)

ENT>EVENT>One Night Discoteque, Xanadu
(若干ネタばりになります。これからごらんになる方は、あなたのリスクにおいてお読みください)

【ファンクの伝道師〜メイシオ】

伝道。

いきなり、大全開。ルーファス&シャカ・カーンの「ワンス・ユー・ゲット・スターテッド」からファンクの嵐が始まった。ドラムス、ギター、ベース、キーボード、トランペット、トロンボーン、バックコーラス2人に、メイシオのサックスという布陣。メイシオ名義の来日は、2001年4月以来ということで、4年5ヶ月ぶり。ただし、2002年秋のプリンスのツアーに参加していることで、その炸裂ぶりも記憶に新しい。とはいっても、それももう3年前か。

メイシオ・パーカーは、あのジェームス・ブラウンのバックバンド、JBズで長くサックスを吹いていたヴェテランである。ファンクを吹かせたらぴか一のサックス奏者である。自らの音楽を、「98%のファンクと2%のジャズ」と公言してはばからない。

トランペット、トロンボーン、サックスという3管(楽器)がファンクの度合いをぐっとひきあげる。トロンボーン担当は、さしずめ、JBズのフレッド・ウエスリー役。

3曲目に、今は亡きルーサー・ヴァンドロスの歌でも知られる「イフ・オンリー・フォー・ワン・ナイト」(ソングライターは、ブレンダ・ラッセル)をしっとりとスムース・ジャズ風に聴かせるが、それでも、そこはメイシオ。どんなにスローをブロウしても、ソウル度が醸し出される。また、リン・コリンズ(故人)の「シンク」は、元JBズのマーサ・ハイが歌う。これは、実にいい感じで、マーサの魅力が存分にでる。そして、それに続いて、メイシオがサングラスをかけてスローの曲を歌い始める。あのレイ・チャールズの「ジョージア・オン・マイ・マインド」だ。レイの曲でいえば、メイシオはこれまでにも「ハレルヤ・アイ・ラヴ・ハー・ソー」なども録音している。レイ・チャールズはメイシオの最大のアイドルだという。

メイシオのサックスを見ていて気がついたことがあった。彼は最近ほとんどのサックス奏者が使うワイアレスマイクを使っていない。マイクスタンドに立てたマイクに向かって吹く。途中で、そこからはずれて3−4歩だけ右、左に歩いた。当然、マイクからの音がなくなるのだが、会場にはメイシオのサックスが十分に鳴り響いていた。きっとかなりの音量があるのだろう。ワイアレスを使わないのにはなにか理由があるのかな。

フロントに立つ全員がびしっとスーツにネクタイをきめていて実にかっこいい。

「パス・ザ・ピーズ」からアンコールにかけては、観客は全員立ち上がった。今回の東京の初日ということで、若干、のりの部分で最高潮ではなかったが、週末にかけてどんどん盛り上がっていくことだろう。

ジェームス・ブラウンのチルドレンのひとり、メイシオ。まさにファンクの創始者ミスター・ブラウン直系の、もうひとりのファンク伝道師だ。

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Setlist (revised according to Bluenote Web Page)
(カッコ内のアルバムは、メイシオ・ヴァージョンが収録されているメイシオのアルバムです。7,13はJBズ時代の録音、アンコール曲はジェームス・ブラウンの大ヒットとしても知られます)

show started 21:32
1. Once You Get Started ("Made By Maceo"--2003)
2. Off The Hook ("Made By Maceo"--2003)
3. Baby Knows (Prince)
4. If Only For One Night (Luther Vandross)
5. Quick Step ("Made By Maceo"--2003)
6. Shake Everything You’ve Got ("Life on Planet Groove"--1992)
7. Doin’ It To Death (Fred Wesley & The JB’s)
8. Think (About It) (Martha High)(Originally recorded by Lynn Collins)
9. I’m Gonna Teach You ("School’s In!"---2003)
10. Georgia On My Mind ("Life on Planet Groove"--1992)
11. Got To Get U ("Life on Planet Groove"--1992)
12. Those Girls ("Made By Maceo"--2003)
13. Pass The Peas ("Life on Planet Groove"--1992)
Enc. Make It Funky ("Maceo; Soundtrack" --1994)
〜Soul Power 92〜My Baby Loves You

show ended 22:59

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■メンバー

メイシオ・パーカー(サックス、ヴォーカル)、Maceo Parker(sax,vo),
コリー・パーカー(ヴォーカル)、Corey Parker(vo),
マーサ・ハイ(ヴォーカル)、Martha High(vo),
ロン・トゥーリー(トランペット)、Ron Tooley(tp),
グレッグ・ボイヤー(トロンボーン、ヴォーカル)、Greg Boyer(tb,vo),
モーリス・ヘイズ(キーボード)、Morris Hayes(key),
ブルーノ・スペイト(ギター)、Bruno Speight(g),
ロドニー“スキート”カーティス、Rodney "Skeet" Curtis(b),
ジャマル・トーマス(ドラムス)、Jamal Thomas(ds)

■ブルーノートウェッブ

http://www.bluenote.co.jp/art/20050901.html

9月1日から7日まで(4日=日曜休み)

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(2005年9月1日木曜、ブルーノート東京セカンド=メイシオ・パーカー・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Parker, Maceo

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