【25年前の友人からの初Eメール】

初メール。

四半世紀以上前に、六本木のエンバシーで知り合ったひとりの黒人がいた。横須賀の海軍にいた兵士で、当時20かそこらではなかっただろうか。週末になると多くの兵士たちと同じように六本木に遊びに来ていた。で、ひょんなことから仲良くなったのだが、彼が兵役を終えて国に帰ってからは、もう連絡がなくなった。たぶん、帰ったのが80年代初期か70年代の後期だろう。

一、二度、手紙のやりとりをしたかもしれない。それから十年以上だってから、突然エアメールのパッケージが届いた。な、なんとその彼がミュージシャンになってCDを出したので、送ってきたのだ。しかも、やっていた音楽はブルースである。

そして、またそのことをすっかり忘れていた。それから15年以上たったと思うが、昨日、1本のメールが入ってきた。なんとその彼からだった。もちろん、メールのやりとりはしたことがない。15年以上前にはインターネットでメールのやりとりなんかしていなかった。(ちなみに僕が最初のメールアドレスを獲得したのは93年、ニフティーだった。その直後、商用プロヴァイダーとしてはほとんど初だったリムネットでアドレスを取った。そのアドレスは、現在まで使っている)

書き出しはこうだった。Hello Masaharu. I hope that you are the right Masaharu. (ハロー・マサハル、あのマサハルであってほしいと願っています) いやあ、驚いた。こんなこともあるのか。

メールのやりとりを1往復してわかった。彼は今、テキサス州サンアントニオに住んでいる。17歳を筆頭に子供が3人もいる。ブルース、ファンク系のバンドをやっていて、なんとかがんばっている。時々、世界を旅している。

先日、当地のスタジオで友人と雑談している時、自分が日本にいた頃の話になった。そして、なぜか僕の名前がでてきた、という。すると、その友人が「じゃあ、インターネットで調べてみればいいじゃないか」と提案して、やってみたら、アドレスがわかった、というのだ。

「25年なんて瞬きをする間のことのように思わないかい?」と彼は書いてきた。自分のブルースバンドで、昨年、1日だけ横須賀のベースの中でライヴをやったが、翌日韓国へ出発だったため、連絡も取れなかったらしい。また、来年の2月に日本にライヴで来る話があり、その時にはぜひ会いたいと書いている。これは楽しみだ。彼の名前はウィリー・ジェイ、バンド名はウィリー・ジェイ&バンドだ。

改めてインターネットの力というか、すごさを感じた出来事だった。
Luther Tribute Will Be Out On September 20

【ルーサー・トリビュート9月に】

トリビュート。

7月1日に死去したルーサー・ヴァンドロスの所属レーベルであるJレコードが制作するルーサー・トリビュートのアルバムの全容が判明した。新旧の大物が勢ぞろいした。全米で9月20日に発売されることになる。参加アーティスト、楽曲は次の通り。当初収録が噂されていたアリシア・キーズの名前が入っていない。


Fantasia- ’Til My Baby Comes Home
Usher- Superstar
Angie Stone- Since I Lost My Baby
Wyclef Jean- Always and Forever
Janet Jackson- The Glow Of Love
Babyface- If Only For One Night
Mary J. Blige- Never Too Much
John Legend- Love Won’t Let Me Wait
Celine Dion- Dance With My Father
Ruben Studdard- So Amazing
Aretha Franklin- A House Is Not A Home
Stevie Wonder- My Love Is On Fire
Val Young- Here and Now
Jaheim- Bad Boy/Having A Party
Monica- Any Love
Rod Stewart- Heaven Knows
Mariah Carey- Power of Love/Love Power

上記作品の中には、ルーサー自体がカヴァーした作品も多数ある。順に「スーパースター」(レオン・ラッセル、カーペンターズ)、「シンス・アイ・ロスト・マイ・ベイビー」(テンプテーションズ)、「オールウェイズ・アンド・フォーエヴァー」(ヒートウェイヴ)、「イフ・オンリー・フォー・ワン・ナイト」(ブレンダ・ラッセル)、「ラヴ・ウォント・レット・ミー・ウェイト」(メジャー・ハリス)、「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」(ディオンヌ・ワーウィック)、「ハヴィング・ア・パーティー」(サム・クック)など。

スティーヴィーの「マイ・ラヴ・イズ・オン・ファイアー」は、20年以上前に一度書かれていたものだが、今回、ルーサーへのトリビュートとして歌詞などが若干書き直され、新たにレコーディングされたものらしい。この曲は、スティーヴィーの新作『ア・タイム・トゥ・ラヴ』にも収録されることになっている。

また、そのスティーヴィーの新作『ア・タイム・トゥ・ラヴ』は、現時点で9月27日に予定されている、という。

Little Milton Dies At 70

2005年8月10日
【リトル・ミルトン死去】

ブルース。

60年代から70年代にかけて多くのブルース・ヒット、ソウル・ヒットを放ったシンガー、リトル・ミルトンが去る8月4日、メンフィスで死去した。一週間ほど前に心臓発作で入院していた。70歳だった。

リトル・ミルトンの芸名で知られるシンガーの本名は、ジェームス・ミルトン・キャンベル、1934年9月7日ミシシッピー州インヴァーネス生まれ。ミュージシャンだった父親の影響で音楽に興味を持ち、その道に進んだ。当初は、よく聴いていたカントリーのラジオ番組『グランド・オール・オプリー』などの影響を受け、ギターを弾き始める。当初のアイドルは、ギタリストのTボーン・ウォーカーだった。

やはり南部を中心に活動していたアイク・ターナーと知り合い、1953年、彼の紹介でメンフィスのサン・レコードでレコーディングを始める。その後、1950年代、シカゴのチェス・レコード、メンフィスのスタックス・レコードに移籍、ヒットを放った。

中でも1965年、「ウィ・ゴナ・メイク・イット」は、ソウル・チャートで1位になった。71年、スタックスに移籍。72年には「ザッツ・ホワット・ラヴ・ウィル・メイク・ユー・ドゥ」がヒット。また、「ワッツタックス」にも出演している。76年、マイアミのTKプロ傘下グレイズ・レコードに移籍、さらにマラコ・レコードに移籍した。

エレキギターを持ったブルースマンとして、また、ソウル、R&Bの分野でも人気を獲得し、ブルースとR&B、ソウルの架け橋ともなった。

リトル・ミルトンの成功のきっかけを作ったアイク・ターナー(=73歳。アイク&ティナ・ターナーのアイク)は、こう振り返る。「ミルトンが数週間前、電話をかけてきて言ったもんだ。俺たち、もっと仲良くしようぜ。ロスコー・ゴードンが死んだ。そのすぐ前にタイロン・デイヴィスも死んだ。俺たち、子供時代一緒にいったじゃないか。あの頃、俺もミルトンもジミ・ヘンドリックスみたいに痩せてたな。今じゃ、俺の彼女は彼のことを『大きなリトル・ミルトン』と呼ぶんだからな。ちゃんとプレイできるいい連中が皆、木から落ちていくんだ」

チェス時代にレーベルメイトでもあった女性ブルース・シンガー、ココ・テイラーはミルトンの他界に衝撃を受けこう語った。「彼はブルースマンの中のブルースマンだったわ。私がブルースウーマンの中のブルースウーマンであるようにね。素晴らしい人物であり、ブルース・ギタリストであり、シンガーだった。ブルースを知る人間で、今まで一度たりともリトル・ミルトンの悪口を言う人に会ったことがないわ」

ミルトンの友人は、彼の音楽だけでなく、彼の人間としての暖かさ、ユーモアのセンスを口々に言う。

シカゴのソウルマンでありブルースマンでもあるオーティス・クレイはこう述べた。「俺たちにはお互いの呼び名があったんだ。だけど、それは印刷なんかできない言葉なんだ。お互い愛情を込めてそう呼んでいたんだけどね」

リトル・ミルトンは1988年、ブルース界のグラミー賞とも言える「W.C.ハンディー・アワード」を受賞。また、ブルース・ホール・オブ・フェイムにも選ばれている。

また、リトル・ミルトンは3回来日している。1983年4月、渋谷ライヴイン他全国各地、88年10月、東京・簡易保険ホール他全国各地、93年5月、渋谷クワトロ他全国各地で公演した。

ENT>OBITUARY>Little Milton / August 4, 2005
【グリニス・マーティン・ライヴ】

リクエスト。

昨年11月に見たフィリップ・ウー、西山はんこや史翁(ふみお)、グリニス・マーティンのトリオ・ライヴ、四谷のメビウス。この店、しばらく前(2005年5月)に同じ四谷でもちょっと四谷3丁目寄りに引っ越した。新店舗になってから初めて来た。青山一丁目からひたすらまっすぐ四谷3丁目方向に来て、3丁目交差点も越え、右カーヴし、左手にフェアファックス・グリル(Fairfax Grill)というレストランが見えたら、そこの地下。

なんとマスターによると、前の店では近所にひとりクレイマーがいて、音がうるさいとすぐに警察を呼ばれて、どうしようもなくなり新しい場所に移ったという。新店はきれいで、前より天井が高く、しかも、音がよくなった。広さはそれほど変わらないという。40席ほど。目の前で生身のミュージシャンがライヴをやってくれるところがいい。

今日は基本的にはトリオの予定だったが、急遽、ソニー・アンダーソンというミュージシャンがドラマーとして参加、4人編成となった。ソニーは8月一杯恵比寿のウェスティンの22階のバーで弾き語りをやっているという。日本にも長くいるが、月曜が休みということで、この日はメビウスにやってきた。

僕はセカンドから見たが、インストを2曲ほどやってから、グリニスがスティーヴィーの「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」、そして、僕のリクエスト曲「リトル・ゲットー・ボーイ」を歌ってくれた。ほんとにスティーヴィーとか、ダニーの曲が彼には向いている。この「リトル・・・」の後半のフィリップのピアノ・ソロはめちゃくちゃのっていた。

リクエストは、グリニスの分厚いレパートリー・ブック(歌詞カードが入ったクリアファイルで、曲がABC順に並べられている。フィリップが曲を決めると、グリニスはそのブックの中から歌詞カードを取り出して歌う)から5-6曲ペーパーナプキンに書いて渡しておいた。普通は1曲くらいだが・・・。(笑) 

サードセットでも、2曲インストの後、スティーヴィーの「オーヴァージョイド」、「ドンチュー・ウォリー・アバウト・ア・シング」、そして、ビリー・ジョエルの「ニューヨーク・ステイト・オブ・マインド」と歌った。この後半では、グリニスはそれまで持っていたベースを、ソニーに手渡し、ドラムスのところに座り、ドラムを叩きながら歌った。なかなか器用だ。

グリニスの声は、少し高め。彼によれば、4オクターヴはでるという。ファルセットを使えば5オクターヴ。「じゃあ、フィリップ・ベイリーみたいに歌える?」ときくと、「もちろん」と。「ラヴィン・ユー」も歌えるらしい。

帰ってきて、前回のライヴ評を見たら、次回やる時には事前にお知らせしましょう、なんて書いてある。すいません、事前にお知らせできませんでした。フィリップは金曜のソイソウル以来だから、中2日で会ったことになる・・・。

「リトル・ゲットー・ボーイ」以外のリクエストは、「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」(ルーサーだ! これはまじで聴きたかったな)、スティーヴィーの「アズ」(まあ、3曲もスティーヴィー曲あったからよしとしよう)、「ハピネス・イズ・ジャスト・アラウンド・ザ・コーナー」(メイン・イングレディエントのヒット。誰も絶対こんな曲リクエストしないだろう=(笑)、ブックに発見して思わずびっくりしたので書いてだした)、あと1曲なんだっけ、忘れた。しかし、リクエスト5曲は書きすぎたかなあ〜〜。ははは。

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Setlist

2nd set

show started 21:28
1. (Inst)
2. (Inst)
3. You’re The Sunshine Of My Life
4. Little Ghetto Boy
show ended 22:01

3rd set

show started 22:44
1. (Inst)
2. (Inst)
3. Overjoyed
4. Don’t You Worry ’Bout A Thing
5. New York State Of Mind
show ended 23.24

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■過去の関連記事

2004/11/19 (Fri)
Night I Saw Donny Hathaway At Yotsuya
前回の同じメンバーによるライヴ評
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200411/diary20041119.html

■出演メンバー

グリニス・マーチン Glynis "Bone" Martin (Vocal, Bass, Drums)
http://jpentertainment.jp

西山"はんこ屋"史翁 Nishiyama "Hankoya" Fumio (Guitar)
http://www2.ttcn.ne.jp/~hankoya/

フィリップ・ウー Phillip Woo (Piano)
http://www.mebius-yotsuya.jp/woo.html

ソニー・エドワーズ Anderson "Sonny" Edwards (Drums, Bass)
www.andersonedwards.com

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四谷メビウス・mobius
http://www.mebius-yotsuya.jp/index.html

新宿区舟町8−2 舟町ビル地下一階
電話 03-3341-3732
基本ミュージック・チャージ1575円、テーブルチャージ525円
(ミュージック・チャージは、出演アーティストによって変動。ちなみにフィリップたちの場合は2100円) + ドリンク代など
営業時間 月〜金 19:00 〜27:00、土・祝 19:00 〜23:00
演奏時間 月〜金 1st 20:00〜20:40、2nd 21:20〜22:00、3rd 22:40〜23:20
土・祝 1st 19:40〜20:30、2nd 21:20〜22:10

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(2005年8月8日月曜、四谷メビウス=フィリップ・ウー、西山史翁、グリニス・マーティン、アンダーソン・ソニー・エドワーズ・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Woo, Phillip / Nishiyama, Fumio / Martin, Glynis / Edwards, Sonny, Anderson
【電話番号の入手先を明かさない電話主】

慇懃無礼。

先日(3日頃)、筆者のもとに1本の電話がかかってきた。「明日(4日)、アップルのイヴェントがあるのですが、ぜひご参加いただきたいのですが。ご案内は行ってませんでしょうか」という。何日か前の郵便物にアップルの案内があったかもしれないと思い、探してみると、確かに来ていた。「スペシャルイベントにご招待します。8月4日(木)午前10時より 会場:東京国際フォーラム」とだけ書いてある。

イヴェントの内容などが書いてない。そこで尋ねた。「どのようなイヴェントなのですか」 すると、「それはわからない。言えない」という。「そんなのでは行けません。内容によってはおうかがいしてもいいですが、内容がわからないでは話になりません。何か新製品の発表ですか。ところで、僕のこの電話番号はどのように入手されたのですか」 「それもわかりません。申し訳ないのですが、言えません」 言い方は丁寧なのだが、話にならない。「人を朝の10時に呼びつけるのに、何があるかわからない、というのはおかしいと思いませんか。そんなことでは行けません」 「すいません、では来ていただけませんか」 「行きません」 

よく不動産の押し売りや、宝石とか、株とかのセールス電話がかかってくる。そういうのは、だいたい「ご主人さまでらっしゃいますか」という最初の一言で、わかる。だから10秒くらいで、「興味ありませんので」と言って切る。今回のマックの電話も、最初は僕を名指しできたので、誰かの紹介か、何か音楽関係者の名簿でも見たのかと思った。(もちろん、セールスでかけてくるのもどこかのなんらかの名簿から番号を入手しているのだろうが) 

イヴェントの案内など多数あるわけだし、イヴェントというのはとにかく人が来てなんぼのもの。つまらないイヴェントも多いわけだし、内容を見て判断しないことには話しにならない。記者発表ならまだしも、スペシャル・イヴェントなんていうところがうさんくさい。(笑) しかし、この電話は内容的には、そこらの押し売りセールスと同じなわけだ。内容は言えないが、とにかく来い、しかも午前10時とは、一体どういうつもりなのだろう。かなり不愉快になって電話を切った。それはそれですぐに忘れたのだが・・・。

で、その翌日、新聞を見て、「マック、国際フォーラム」の単語で、なるほどと合点が行った。なんだ、ただのネット配信開始の発表会ではないか。そんなに内容を隠すほどのものでもないだろう。行かなくてよかった。媒体向け発表は比較的午後とか夕方が多い。しかも午前10時の発表だと、その日の夕刊に記事がでてしまう。これは、よくない。ニュースは朝刊に載せてもらわないと。

たぶん、マックがネット配信を開始するとなれば、ニュースヴァリューがあるから、ちょっと変わったことでもやってみようなどと誰かが思いついたのだろう。この手のニュースなら、普通の記者会見で充分である。そのニュースのヴァリューはきっと媒体側が考えるだろう。

まあ、しかし、この慇懃無礼な電話のおかげで、ブログネタがひとつできて、マックも記事露出に成功したわけだから、むこうもしてやったりといったところだろうね。(笑) 

ESSAY>
【猛暑の中、ホットなソイソウル・ライヴ】

夏一番。

日本が誇るファンクバンド、ソイソウルのライヴ。目黒ブルースアレー。「ソウル・サーチン・トーキング」以来、なぜか、より縁があるような感じ。ファーストが1時間、セカンドが1時間48分。超密度が濃い。この日はゴスペラーズの黒沢薫さんゲストということで、立ち見もでて超満員。しかも、この夏一番の暑さとかで、ステージ上は、40度近かったのでは。

ファンク・バンドとして11人の大所帯だが、それぞれのキャラがとてもおもしろい。それにも増して、ケイズとズーコ、ケイオンのトークがおもしろい。平気で10分くらいMCやってる。

生身のバンドが、音を出しているというところが、やはりいい。このむさくるしい男バンドの中でズーコが歌うゆったりミディアム調の曲が清涼剤のように映える。ファーストで歌った「スマイル」のような曲。ゴー・ゴー風の「トゥルー・カラー」もおもしろいアレンジだった。ズーコの伸びのある力強い歌声は、ますます磨きがかかっている。

この日のスペシャルは、黒沢さんとのデュエット。最初がケイズとともにジョーの作品「ノー・ワン・エルス・カムズ・クロース」を。黒沢さんは何度も歌っているせいか、こなれたもの。一方、ズーコとデュエットした曲は「ユア・プレシャス・ラヴ」。マーヴィン・ゲイとタミー・テレルの名唱で知られるクラシック。これは、彼らにとっては初めてのデュエットだという。これもよかった。ショウが始まる前に、黒沢さんに「二人で何を歌うの」と尋ねたら、曲名は言わずに「ソウル・サーチンへのプレゼン曲歌いますから」と言われた。わお! 

そして、秋に発売が予定されている黒沢薫初ソロアルバムに収録されるという作品が、初めてお披露目された。ソイソウルをバックに従えたその作品は「ラヴ・ア・フレイヴァ」。僕も初めて聴いた。ゴスペラーズとはまったく違う雰囲気でひじょうにおもしろい。

それにしても、「草原を駆け抜ける黒沢氏」、トークも歌も炸裂だ。(笑) 黒沢さんがトーク炸裂していると、ズーコが「事務所的に今のは?」と気を遣うやりとりも、めちゃおもしろいなあ。この夏一番の暑い夜に、この夏一番熱いライヴバンドの演奏だった。

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これまでのズーコ・ソイソウル関連記事。

2004/01/17 (Sat)
Soysoul Live At Shibuya Quatro: Zooco Is A Tamer Of Wild Beasts
ソイソウル・ライヴ
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200401/diary20040117.html

2004/07/03 (Sat)
"Midnight Love" To Soysoul Live
ズーコの『上を向いて歩こう』
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200407/diary20040703.html

2004/09/06 (Mon)
Two Places At The Same Time: Budoukan Or Yokosuka
ソイソウル番組ゲスト
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200409/diary20040906.html

2004/11/04 (Thu)
Chain Of Funk Gang: From Soysoul To Their Friends, One After Another
ソイソウル・ライヴ
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200411/diary20041104.html

2004/11/19 (Fri)
Night I Saw Donny Hathaway At Yotsuya
フィリップ・ウー・ライヴ
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200411/diary20041119.html

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Setlist

First set show started 19:44

-. Opening
1. Samurai Funk
2. Talkin’ To You
3. True Color
4. Stay
5. Can’t Stop
6. Smile
7. Rock The Fire

show ended 20:43

Second set started 21:17

-. Opening
1. Soul Power
2. Superfly (Original)
3. Essence Of Love
4. No One Else Comes Close (Caize with Kurosawa Kaoru)
5. Your Precious Love (Zooco with Kurosawa Kaoru)
6. Love A Flava 〜 チェイサー (Kurosawa Kaoru with Soysoul)
7. Baby You
8. Why Don’t You...?
Enc. Soysoul

show ended 23:05

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Soysoul Members:

Zooco (Vocal), Caize (Vocal), K-On (Rap), 丸本修(Bass), Ken Keng (Percussion), 竹内勝(Drums), 渡辺ファイアー(Sax), Phillip Woo (Keyboards), K-Muto (Synthesizer & Programming), 小倉昌浩(Guitar), 城谷雄策(Support Trumpet)

Special Guest 黒沢薫

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(2005年8月5日金曜、目黒ブルースアレー=ソイソウル・ウィズ・黒沢薫ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Soysoul with Kurosawa, Kaoru
【平均年齢62.2歳、老練のサヴァイヴァーたち】

老練。

『ソウル・コネクション』中の月1コーナーのタイトルは、「ソウル・サヴァイヴァー」。ソウル・ミュージック界の偉人たちを紹介しているが、それとまったく同じ名前を冠するバンドが、このソウル・サヴァイヴァーズ。こちらは、ジャズ、ファンクのジャイアンツが集まったグループだ。

調べてみたら約2年ぶりのライヴ。レス・マッキャン、コーネル・デュプリー、チャック・レイニー、ロニー・キューバー、そして、今回はドラムスにバディー・ウィリアムス。彼らをして、その名はソウル・サヴァイヴァーズ。いずれも、老練熟練の達人たちだ。「ワン・トゥ・スリー・・・」のキューカウントさえいらないのではないかと思えるほどの、息のあいかげん。音楽という共通言語をおもちゃに、テーブルを囲んでディナーを楽しむように、その場をエンジョイしている。

7時開始だと思って7時少し前に行ったら、なんと6時半スタートですでに演奏が始まっていた。ちょうど流れていたのは、「イマジン」。

この演奏、パフォーマンスに対してもう言うことはない。今回のドラマーは、やはりヴェテランのバディー・ウィリアムス。ちょっとエディー・マーフィーを小太りにしたような愛嬌のある人物だ。最長老のレス・マッキャン69歳から、もっとも若いバディー52歳まで、平均年齢62.2歳だ。本当にソウルの世界を生き抜いている連中たちと言える。

アンコール前最後の曲で、レス・マキャンが渋い喉を聞かせた。曲名がわからなかったので、ステージを終え、客席に座っていた本人に尋ねた。「最後のひとつ前の曲はなんという曲ですか」 「あ、あれか、え〜と、69年のアルバム、う〜〜んと、『スイス・ムーヴメント』の中に入ってる「コンペアー・トゥ・ホワット」という曲だよ」 

今回もアンコールは、「ウェイ・バック・ホーム」。元々はジュニア・ウォーカー&オールスターズのヒットで、後にクルセイダーズなどもカヴァーしている名曲だ。FENの昔のソウル番組かなにかの後テーマにもなっていたような記憶がある。

ステージを降りる時もスタッフの手助けを借り、歩くのもやっとという感じだったが、レス・マッキャンの握手は実に力強かった。

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2003/03/09 (Sun)
Soul Survivors who make soul survive
前回のソウル・サヴァイヴァーズのライヴ評〜ソウルを生きながらえさせる男たち
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200303/diary20030309.html

メンバー:

レス・マッキャン(キーボード、ヴォーカル)、
ロニー・キューバー(サックス)、
コーネル・デュプリー(ギター)、
チャック・レイニー(ベース)、
バディー・ウィリアムス(ドラムス)

Les McCann(key,vo),
Ronnie Cuber(sax),
Cornell Dupree(g),
Chuck Rainey(b),
Buddy Williams(ds)

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Setlist (imcomplete)

00.
00.
00. Imagine
00. Cold Duck Time (Les McCann)
00. Mercy Mercy Mercy
00. Compare To What (Les McCann)
Enc. Way Back Home

(2005年8月4日木曜、横浜モーションブルー・ファースト=ソウル・サヴァイヴァーズ・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Soul Survivors
【ケイ・グラント氏のマイク】

マイ・マイク。

「このマイク、つないどいてくれる?」 スタジオのアシスタントに彼はそう言って、ボックスを渡した。「なんですか、それ」 「あ〜、これマイ・マイク」。ほ〜〜。「ノイマンっていうやつだけど、あるところと、ないところがあるのよ。で、今日はないと思って持ってきた」 ブリリアント・ヴォイス、ケイ・グラントがそう言って、このマイクへのこだわりを話し始めた。

1990年、低音の魅力を爆発させていたソウルフルなDJケイ・グラントの元に1本の仕事が舞い込んだ。サザン・オールスターズの映画『稲村ジェーン』のサントラに収録される1曲のイントロでラジオのDJのようにしゃべってくれという依頼だ。その曲は昔のヒットのカヴァー「愛して、愛して、愛しちゃったのよ」。

レコーディング・スタジオに出向くと、エンジニアが何十本ものマイクを並べて、ケイ・グラントの声を試した。世界の一流メイカーの高価なマイクロフォンが並べられていて、それは壮観だった。いくつものマイクを通した声を聞き、エンジニアは、ケイ・グラントの声に一番ぴったりのマイクを選んだ。「この低い声がもっとも滑らかに鳴り響くのはこれだ」 そう言って選んだのがノイマン社製のU−87という型番のマイクロフォンだった。このマイクは、海外でも、ホイットニー・ヒューストンを始め、マドンナやら著名なシンガーが指定するマイクとしても知られていた。

彼は「ナインティ・ポイント・ナインティーワン(90.91=アルバムの発売日、90年9月1日)」のラジオDJになって、絶妙のイントロ・トークを聞かせた。

以来、彼はラジオ局、テレビ局、ナレーションどりのスタジオなどで、必ずこのマイクをリクエストするようになった。実際このマイクで彼の声を拾うと、低音の響きが格段に違う。このマイクを常備しているところもあったが、ないスタジオもあった。そんな時、ケイ・グラントは、自分でこのマイクを持ちたいと思い始めた。「マイ・マイク」だ。だが、このノイマンのU−87は、けっこう高価だった。1本で約40万円する。しかし、いつかこのU−87を手に入れようと思っていた。

初めてノイマンU−87と出会ってから約10年。2000年1月、100人近くの友人たちが集まって誕生日パーティーを開いてくれた。その席上で、ケイ・グラントにプレゼントが贈られた。包装紙に包まれた大きな箱を開けてみると、そこには、NEUMANNの文字が目の中に飛び込んできた。ま・さ・か・・・。そして、重厚な箱の中にはあのあこがれのU−87が入っていたのだ。その日に集まった友人たちが、少しずつお金を出し合ってこの高価なマイクロフォンをケイ・グラントのために買っていたのである。10年間待ち続けた夢のマイクが、遂に彼のものになった。

こうしてノイマンU−87はケイ・グラントのマイ・マイクとなった。以来彼はどこに行くにもこのマイクの入った大きなバッグを担いでいく。今日もまた、ケイ・グラントはU−87にソウルをこめて語りかける。そしてU−87によって拾われた声が東京中の空に響き渡る。

声の仕事をしている者にとってマイクロフォンは商売道具だ。いかに自分の声をよく響かせるか。そのためには、たゆまぬ努力を惜しまないと同時に機材にもこだわる。「僕の場合、弘法、筆を選ぶ、ですから・・・(笑)」と彼は言った。いやいや、これは達人のこだわりと呼ぶ。

(写真上=ノイマンU−87を前にしたケイ・グラント氏、下=ノイマンU−87とそのキャリアと箱)

ケイ・グラント氏オフィシャル・ウェッブ・ページ
http://www.k-grant.com

ENT>ESSAY>Grant, Kei
【会員制ラウンジ】

超刺激。

とある友人筋から会員制のバーのオープニングレセプションの誘いを受けたので、様子見で行ってみた。レセプションは数あれど、今回の招待状はものすごくリッチでお金がかかっていたので、久々にかなりバブリーなのではないかと思ったが、予想以上だった。 

エリアは広尾、店は看板は出さず、会員かその紹介でないと入れない。そのプライヴェート・ラウンジは、まだまだ序の口で、ここと関連したザ・スケープという施設がすごい。ラウンジから車で5分ほど行ったところにある、言ってみれば、プライヴェートなホテルだ。これが広尾の閑静な住宅街にひっそりと何も語らずにある。ベンツの500とか600あたりだと、こすってしまいそうな細い道なのだが、500、600でもちゃんと慎重に運転すれば通れるというくらい本当に細い細い道を通っていくと、いきなりぱ〜と視界が広がり、ものすごくモダンな建物が忽然と現れる。これには驚いた。

5階建て。建築設計は隈研吾氏、アートディレクションは浅葉克己氏という豪華キャストで作られたこの建物はたったの12部屋。5階のヴェランダからは、渋谷のセルリアンから六本木ヒルズまでを一望できる。将来的には、会員が予約すると、会員の携帯電話が部屋へのパスポートになる。つまり自分の携帯が部屋の鍵になるのだ。一番広い156平米の部屋など、ヴェランダがあるので50人から100人くらいのちょっとしたパーティーに使える。

これを立ち上げた方々はみな、大人の遊び方というコンセプトをしっかりと持っていて、その徹底振りに感銘を受けた。これは間違いなく話題になる。

いやあ、久々に超刺激を受けた。

LIFESTYLE>ESSAY

Dexter Redding Talks

2005年8月3日
【デクスター・レディング語る】

ジェントルマン。

デクスターは、オーティス・レディングの長男である。そして、ゴスペラーズの面々は、以前、オーティスの墓参りに行ったことがあり、その時にオーティスの妻、ズレマさんに会っていた。そこで、今回7月頭に彼らがニューオーリンズに行ったときに、再びズレマさんに会った。そこに長男であるデクスターがやってきて、メンバーといろいろ話をするうちに意気投合。特に北山さんがデクスターに「こんど、じゃあ機会があったら、日本にでもきてください」と、比較的社交辞令的に言ったところ、本人が本当に来てしまった、というわけだ。そして、デクスターは、先週土曜日のモーションブルーでのクリヤマコトさんのライヴに飛び入りしたり、31日(日)の『メローライダーズVOL.2』に遊びに来たりしている。

デクスターは、オーティス・レディングの長男である。オーティスは、まさに「ソウル・ジャイアント」である。となると、これは、「ソウル・サヴァイヴァー」に登場してもらわないわけにはいかない。というわけで、急遽、彼が「ソウル・サヴァイヴァー」にゲストで出演することになった。(この模様は、8月27日の『ソウル・コネクション』内「ソウル・サヴァイヴァー」で放送されます)

デクスターは、オーティス・レディングの長男である。オーティスは、まさに「ソウル・ジャイアント」である。となると、聞きたい話はいっぱいある。オーティスには4人の子供がいた。長男がデクスター、1960年10月17日生まれ。次男がオーティス・レディング・サード(3世)、1964年12月17日生まれ。第3子がカーラ(女性)で、65年生まれ。そして、4番目が養子にとったディミトリー。

父オーティスが不慮の事故で他界した時(1967年12月)、デクスターはまだ7歳だった。だから、デクスターは父のアーティストとしてのことはそれほど覚えていないという。ところで、前々から不思議だったのが、彼は長男なのに、デクスターで、弟がオーティスを名乗っているという点。普通、父親の名前は、長男が引き継ぐことが多いのだが。それを聞くとデクスターは笑いながら「それは、母親に聞いてくれ」との答え。

父のことをミュージシャンとして、音楽的にすごいなと思い出したのは16歳か17歳、彼がハイスクールにいた頃だという。回りのみんなが父親のことをいろいろ言っていたのを聞くようになって、すごいということを認識し始めたようだ。

デクスターとオーティス3世は、もうひとりのメンバー、マークとともに3人組、レディングスを結成。このレディングスは、80年、CBS配給のビリーヴ・イン・ア・ドリーム・レコードからデビュー。「リモート・コントロール」が大ヒットになり、一躍有名になった。デクスターが20歳、オーティスはまだ16歳の頃だ。彼らは、CBS〜ポリグラムで計6枚のアルバムを発表。この第3のメンバー、マーク・ロケットは当時の情報では彼らの「従兄弟(いとこ)」と紹介されていた記憶があった。

「確か、あの3番目のメンバーはあなたたちの従兄弟でしたよね」と言うと、デクスターは笑いながら、「いやいや、実は違うんだよ。いとこでもなんでもないんだ。ははは」 「え〜〜? 兄弟と従兄弟だったように記憶してましたが」 「いや、あれはレコード会社が適当に作り上げたんだよ。彼は今フロリダで音楽関係の仕事をしてるようだ」 な〜るほど。いかにもありそうな話だ。

デクスターと初めてちょっと話をしたのが、31日のルーサーだったが、昨日(2日)、収録で再度会ってまた話をした。そこで、レディングスのアルバムをスタジオに持参した。うちでレコードを探すと発売された6枚のうち5枚があった。そして、3枚目のアルバム『ドック・オブ・ザ・ベイ(原題、スティーミン・ホット)』が日本盤だったので、中をあけてライナーを見ると、なんと、僕がライナー書いてました。1982年8月8日のこと。すっかり忘れてた。(笑) デビューまでのいきさつなどが詳しく書かれていて、話を聞くのに、とても参考になった。(笑) 

スタジオでその話をすると、大笑いになった。ジャケットには3人の写真が映っていて、デクスターはわかるが、残るオーティスとマークの区別がつかないので、それを尋ねたりしていた。(写真参照) 5枚のうち、2枚にサインをもらうことにした。23年前のレコードだ。今回の来日でいろいろ世話役になっている日本在住のブレンダ・ヴォーンさんが、「まあ、なんて若いの?」とめちゃくちゃびっくりしていた。

「6枚のアルバムの中で、一番思い出深いのはどれ?」と聞くとほとんど迷わず最初のアルバム『ジ・アウエイクニング』を選んだ。そのタイトル曲「ジ・アウエイクニング(パート2)」は、彼がベースを弾いている曲で、後に誰かフュージョン系のグループがカヴァーしたという。(その時、彼は「プロミス」とかいうグループじゃなかったか、と言ったが、記憶はおぼろげらしい。かなり調べてみたが、でてこなかった。ただし、同名異曲がたくさんある)

最後のアルバムが88年のアルバム『ザ・レディングス』。この後グループは自然解散。最近では、たまに弟のオーティスとともに、オーティス・レディング・トリビュートのショウなどをやっているという。「二人ということは、サム&デイヴみたいな感じですか?」と聞くと、「そう、そう。そんな感じで父親へのトリビュートをしているよ。きっと、君は気に入るよ」とのこと。

一年ほど前、メイコンで行われたオーティス・トリビュートのイヴェントで、そこのオーケストラをバックに、オーティス・メドレーを13曲ほど歌ったという。「たしか、去年の父の誕生日あたり(9月9日)だったと思うな」

ところで、オーティスのことを書いた『ジ・オーティス・レディング・ストーリー』(スコット・フリーマン著・セント・マーティンズ・グリフィン、2002年=日本未発)という本がある。これについて尋ねた。「この本は読んだ?」 「あー、これか。読んではないけど、内容は知ってる」 「この著者にインタヴューはされた?」 「いや、僕はされてないが、母親はされてる。ただこの本はオーティス(父親)を直接知らない人の話がでてくるんだ」 「なるほど、ということは、まあ、お父さんについての違う視点からの本、ということね」 「ははは、そうだよ。違う視点からの本だ!」 

それにしても、デクスターはものすごくいい人で、にこにこしていて、しかも謙虚。「君が持っていない唯一のアルバムを、帰ったらコピーして送るよ」とまで言ってくれた。本当にジェントルマンだ。

デクスターは、オーティス・レディングの長男である。オーティスは、まさに「ソウル・ジャイアント」である。そして、ソウルの神様である。デクスターと話をして、握手をしたということは、間接的に神様に触れたということでもある。神様に触れると、感激するのである。

ENT>MUSIC>ARTIST>Reddings
【メロー・ライダーズVOL.2:なぜデクスター・レディングが日本に?】

メロー。

日曜は『ソウル・ブレンズ』が1時間だったので、ひじょうに楽だったのだが、一度家に戻り、軽く選曲などをして9時40分頃、横浜に到着した。途中でオッシーから電話が入り、店の近くの駐車場に車を止めて選曲している、という。で、そこに行ってみると、荷台を開け、ダンボール箱を路上の歩道のところに数箱だして、いろいろ選んでいる。

ちょうど僕の車のスポットライトがそこにあたり、降りるなりの僕の挨拶。「レコードの露天商ですかあ?」 大体10箱くらい乗っていて、その中から実際に使いそうなレコードを3箱くらいにして、現場に持っていくらしい。

その日は僕はもう完全にCDのみ。一足先にルーサーに行くと、ものすごい混雑。今回はもろもろの事情で、多くの問合せが来てしまったため、混乱を避けるため急遽イヴェント自体がチケット制になっていた。すでに、DJナミが比較的今風のR&Bで、がんがんに盛り上げている。立錐の余地は〜〜少しだけあるが、かなり満員。

CDをいれた重いバッグを持って、DJブースのところに進み、ファーストセットでかけようと考えていたCDを出し、CDJの使い方をおさらいした。とはいうものの、2月にやったのに、もう忘れてる。(笑) 話にならない。大体、曲の頭出しをどうするのか、覚えてないんだから。右と左のCDJが違うので、やり方が違ったのも、しばらくして思い出した。(苦笑)

10分押しくらいでスタート。オープニングは、デイヴィッドTウォーカーの「ホワッツ・ゴーイング・オン」。これは、もうテーマということで。しかも、超メローでしょう、これ。この日は少しインストと大人向きの選曲をしようということで、最初4曲をインストにしてみました。ゆる〜い、マーキーズの「プランテーション・イン」、このマーキーズも、僕からするとかなりメロー。最近のマーカスのアルバムから「ブギー・オン・レゲエ・ウーマン」、スティーヴィーつながりで、「イッツ・ア・シェーム」、そして、スティーヴィー本人の「アズ」と、アレサのヒットで有名なスティーヴィー作品「アンティル・ユー・カンバック・トゥ・ミー」へ。

ここで趣を変え、ジョー・サンプルで「フィーヴァー」、歌はレイラ・ハザウェイ、同じくジョーでレイ・チャールズの「メス・アラウンド」(インスト)、そして、レイ・チャールズ(アイヴ・ガット・ア・ウーマン)へ。このあたりのジャジーなのりと、レイ・チャールズの流れはまず普通のソウルバーやクラブではかからないでしょう。(笑) イメージはあったが、実際にかけてみて、なかなかいい雰囲気だったのでよかった。本当はスティーヴィーの後にフランク・マッコムの「シャイン」をかけようと思っていたが、時間の関係でカットになった。いわゆるばりばりのダンス曲、クラブ用の曲ではないが、こういう曲でお客さんが踊ってくれているとひじょうに嬉しい。

第二部のテーマは、この前亡くなったユージーン・レコード・トリビュートもかねて、シカゴVSフィリー。シカゴからシャイ・ライツとカーティス・メイフィールド、フィリーからは、ウィスパーズ、テンプリーズのフィリー録音、オージェイズ、スタイリスティックスのフィリーサウンド。2部の最後は、スタイリスティックスの「アイム・ストーン・イン・ラヴ・ウィズ・ユー」に決めていた。この踊れそうで、踊れない、踊れなさそうで、ブラザーなら踊ってしまうというゆるいリズム感が最高で、この「メロー・ライダーズ」のタイトルにふさわしいのではないかという1曲だった。

僕の最後の曲を受けて、次のDJルイカ氏がもってきたのは、なんと、同じくスタイリスティックスの「キャント・ギヴ・ユー・エニーシング・バット・マイ・ラヴ(愛こそすべて)」だった。マイクを持って、僕を紹介してくれた後、あのトランペットのイントロが始まった瞬間、ルーサー観客から歓声が。しかも、ルイカ氏、曲のサビ、ヴォリュームを落して、客に歌わせる歌わせる。この時点で、けっこうルイカ氏よっぱらっていたようで、かなりごきげんにまわしていた。MCものりのり。あおります。

さて、少し話は前後するが、第1部のオッシーDJの時、ちょうど、今来日中のデクスター・レディングが会場にいて踊っていた。デクスターは、あの偉大なるオーティス・レディングの長男である。そこで、急遽、デクスターのいたレディングスの曲をかけようということになった。しかし、曲調から、そのレディングスへもっていくまでに、何曲か流れを作らなければならない。オッシーがレディングスへもっていく流れを作る。エイティーズの作品を何曲かつなぎ、ルーサーの「スーパー・レディー」が流れてきた時、そろそろかと思ったら、レディングス来ました。そして、マイクで紹介。観客からも、大拍手! 

さて、なぜ、デクスターが日本に来ているか。そのお話は、明日へ続く。

(2005年7月31日日曜、横浜西口・ルーサー=メロー・ライダーズ・VOL.2)

ENT>MUSIC>EVENT>Mellow Ridaz Vol.2

Mellow Ridaz Vol.2

2005年8月1日
【メロー・ライダーズ第2弾】

来場多謝。

今年2月に行われた『メロー・ライダーズ』のイヴェントが、7月31日、横浜・西口のソウル・クラブ、ルーサーで行われた。事前のタイムテーブルは次のようなものだったが、後半、時間が徐々に押した。日曜夜というところ、ご来場の皆様は本当にありがとうございます。

19:00 八巻
20:00 八巻
21:00 Nami
22:00 吉岡
22:40 ルイカ
23:40 OSSHY
0:40 吉岡
1:20 ルイカ
2:20 OSSHY
3:20 Nami
4:20 八巻
5:00 end

僕の2度目のセットの冒頭、またまたCDJにいれたCDが読み込まず、摘出できずで、しばし、アナログでしのいだ。その間にオッシーが試行錯誤して、CDを出そうとしてくれたが、遂にちょっとしたコツで出せるようになった。

満員のお客さんは適度にのりのりで、大変盛り上がった。ルイカ氏、僕の直後に交代した時はマイクを持ってのりのりでMCまでしてくれた。メロー・ライダーズとは名ばかりで、前回同様、DJナミ、DJオッシーも、がんがんにR&Bで躍らせる。

僕の第一部の選曲のテーマは、ちょっとインスト多めの古めで大人目みたいなもの。第二部はシカゴVSフィリーを考えていたのだが、その前にCDJにCDが挟まってでてこない事件があり、急遽冒頭は棚にあったアナログから、ジェームス・ブラウン特集になってしまった。(笑)

ルイカ氏、けっこうマイクを使ってしゃべったり、歌ったりもした。特にアリシャ・キーズの「イフ・アイ・エイント・ガット・ユー」では、彼が一緒に歌ってしまった。

外出たら、もうがんがんに明るかった。みなさん、おつかれさま〜〜。お声がけいただいた方、ありがとうございます。

とりあえず、僕がかけた曲のセットリストです。

Setlist

01. What’s Going On / David T Walker
02. Plantation Inn / Markays
03. Boogie On Reggae Woman / Marcus Miller
04. It’s A Shame / Paul Jackson Jr.
05. As / Stevie Wonder
06. Until You Come Back To Me / Stevie Wonder
07. Fever / Joe Sample ftg. Lalah Hathaway
08. Mess Around / Joe Sample
09. I’ve Got A Woman / Ray Charles
10. Everything’s OK / Al Green
11. Harvest For The World / Isley Brothers

Second Set

01. Sex Machine / James Brown
02. Give Me Some More / JB’s
03. Get On The Good Foot / James Brown
04. Hang On In There Baby / Johnny Bristol
05. Give More Power To The People / Chi-Lites
06. Are You My Woman / Chi-Lites
07. Freddie’s Dead (Inst) / Curtis Mayfield
08. Future Shock / Curtis Mayfield
09. A Mother For My Children / Whispers
10. Come & Get It / Temprees
11. I Love Music / O’Jays
12. I’m Stone In Love With you / Stylistics

(2005年7月31日日曜、横浜西口・ルーサー=メロー・ライダーズ・VOL.2)

ENT>MUSIC>EVENT>Mellow Ridaz Vol.2
【深町純、即興演奏のセットリスト】

御題拝借。

即興ピアノ士、深町純の定例会第55回。しかし、よく続いています。4年8ヶ月。2001年1月が第1回。僕は2回目からスケジュール的にだめな時以外行ってますが、この5月、6月と行けず3ヶ月ぶり。何回行ってないか今度数えてみます。

31日は、隅田川の花火や、近くの恵比寿での盆踊りなど様々なイヴェントがあり、かなり客を奪われた様子で、7時15分を過ぎでも空席が目立った。普段は7時過ぎると前のほうに座れない。徐々に人は入ってきたが。

いつも通り、話半分、演奏半分なわけですが、僕の個人的お気に入りは、彼の即興演奏の中でのちょっとしたコーナー「御題拝借」だ。観客から適当にいくつかのフレーズをもらい、それを即興演奏で1−2分の作品にしてしまうというもの。もちろん、いいできの時もあれば、ダメな時もある。もらったほんの4−5個のメロディーがすごくよくて、いい曲が生まれることもある。

この日も3人からメロディーをもらい、即興で演奏してみせた。どれも聴いていて気持ちよかった。このあたり、本当に、やらせなしのガチンコ勝負というものが見られてすばらしい。

さて、彼の作品はすべて即興演奏。よってタイトルなどない。当然通常のライヴにあるようなセットリストなどない。あり得ない。しかし、僕はセットリストマニアである。行ったライヴの曲名は全部知っておきたい。(笑) そこで、無謀にも深町純即興演奏会のセットリストを作ることにした。さっき、彼がピアノを弾いていた時に思いついたのだ。さっそく作った。下記をご覧ください。

100年後に、「深町純のさあ、『2005年7月30日午後8時04分の作品』って最高だよなあ」「いやあ、おれは、『9時50分』の方がお気に入りだな」などというマニアックな会話がなされるかもしれない。それは、将来の歴史が証明する。今、僕たちがベートーヴェンやバッハの作品をあーだこーだいうように。そのために僕は彼の演奏を記録にとどめよう。

■深町純・公式ウェッブ
http://www.bekkoame.ne.jp/~cisum/

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今回初めてセットリストを作成してみました。(笑) タイトル、あるいはイメージなどを深町さんが言った場合は、それを副題として〔 〕の中にいれました。今回の例でいえば、1曲目の「花火」がそれにあたります。「今日は、まず花火みたいな曲をやってみようかな。花火に聴こえるかな」と言って演奏を始めました。曲タイトルの後は、その楽曲の大体の演奏分数です。

Setlist: Fukamachi Jun Improvisation Live #55
July 30, 2005 at Art Cafe, Ebisu

1st set
show started 19.45
1. 2005年7月30日午後8時04分の作品(花火)(9.32)
2. 2005年7月30日午後8時22分の作品(14.45)
3. 2005年7月30日御題拝借作品1(2.10)
4. 2005年7月30日御題拝借作品2(1.59)
5. 2005年7月30日御題拝借作品3(2.49)
show ended 20.52

2nd set
show started 21.26
1. Happy Birthday〜僕の誕生日 (4.38)
2. 2005年7月30日午後9時50分の作品 (13.34)
3. 2005年7月30日午後10時04分の作品 (8.17)
show ended 22.14

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これまでに深町さん関連で書いた日記をまとめました。かなり書いてる。集めてみて、改めて読んでみるとけっこうおもしろい。(笑) 特にお勧めは2003年4月27日付けの「ピアノが上手ということは」や、2004年3月1日付けの「ピアノ3デイズを聴き終えて」あたり。

2003/04/27 (Sun)
About good at piano
ピアノが上手ということは
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200304/diary20030427.html

2003/06/29 (Sun)
Genuine Improvisation Made By Jun
即興の妙
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030629.html

2003/07/24 (Thu)
Sound of Footsteps in Empty Valley
他のミュージシャンとのコラボ・ライヴのライヴ評
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200307/diary20030724.html

2003/11/30 (Sun)
Album Between Elbert & Errison
ゲストでやってきた円道一世
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200311/diary20031130.html

(お勧め↓)
2004/02/01 (Sun)
The Soul Of The Piano Man (Woman): Fukamachi Jun Live At Art Cafe
ピアノ3デイズを聴き終えて。ピアノマンのソウル。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200402/diary20040201.html

2004/05/22 (Sat)
Kawaguchi Kyogo Sings "Sakura" At Fukamachi Jun’s Live
河口恭吾がゲストで参加
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200405/diary20040522.html

2004/06/27 (Sun)
Doesn’t Really Matter What The Genre Is
中国人歌手のゲスト
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200406/diary20040627.html

2004/12/25 (Sat)
Merry Christmas, Happy Holiday: No Babies Allowed To Attend Live Performance
赤ん坊禁止令
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200412/diary20041225.html

May 02, 2005
East Meets West At East: Kin Agun Plays China Yang Quin
【揚琴(ようきん)・悠久の調べ〜金亜軍さん】
http://blog.soulsearchin.com/archives/000232.html

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(2005年7月30日土曜、恵比寿アートカフェ=深町純ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Fukamachi, Jun
【ソウライヴ・ライヴ】 

ジャム。

いわゆる「ジャム・バンド」と呼ばれるジャズ、ファンク・バンド、ソウライヴのライヴが横浜のブリッツで行われた。この模様は彼らが所属するブルーノート・レコードが録音し、その中から1曲(「イッツ・ユア・シング」)を8月24日からインターネットで有料で配信する。同様の試みはすでに2回、日本人アーティストで行われており、今回は3回目。この日のライヴ音源のCD化は当面予定がないという。

横浜ブリッツは初めて行った。会場は、以前の赤坂のブリッツに似ていて、少し小さいのだろうか。この日は、車が大変混んでいて、かなり時間がかかってしまい、頭の部分を聞き逃した。

ソウライヴ自体は、これまでにブルーノートで見ていたが、これほど大きな会場で見るのは初めて。1000人以上は楽に入る。バンドサウンドは相変わらずタイトで、かっこいい。今回はキーボード、ドラムス、ギターのソウライヴのメンバーにトランペットとサックスの二人を加え計5人。観客は、ふだんクラブなどに行きそうなタイプの若い人たちが多い。

キーボードが生み出すベースのサウンドが、少々耳障りだったことを除けば、まあ、これだけの大きい会場なので、音もこんなものだろうという感じ。やはり、ブルーノートあたりの小さな会場の音の良さは特筆に価する。しかし、ラインで録音して、それを配信となれば、きっと、ここで聴いた音よりはるかにクリアでいい音になっていると思う。

1部と2部に別れていたが、印象に残ったのは、カヴァーの3曲。アイズレイ・ブラザースの「イッツ・ユア・シング」、ウォーの「スリッピン・イントゥ・ダークネス」、そしてアンコールで登場のアーチー・ベル&ドレルスの「タイトゥン・アップ」(その後YMOがカヴァー)。前2曲はヴォーカル曲でこれをドラマーが歌う。歌は別にどうということはないが、やはり、ずっとインスト物が続いているところに歌物が入ると、それだけでかなりのインパクトになる。

2部のオープニング曲「ステッピン」あたりは、ジェームス・ブラウンのJBズ風、あるいは、「ドゥ・イット・アゲイン」などは、カーティス・メイフィールドの「フレディーズ・デッド」風のリズムなどで、なかなかおもしろかった。

Setlist (According to record company’s release)

First set

01. Intro
02. Alladin
03. El Ron
04. Vapor
05. Azucar
06. One In Seven
07. It’s Your Thing
08. Jesus Children Of America > Stay
show ended 20.44

Second Set

show started 21:02
01. Steppin’
02. Uncle Junior
03. Reverb
04. Solid
05. Cachasa
06. Slippin’ Into Darkness
07. Lenny
08. Crosstown
09. Tuesday
10. Do It Again
Enc. Tighten Up
show ended 22.10

(2005年7月29日金曜、横浜ブリッツ=ソウライヴ・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Soulive
Harlem Nights: Omar Edwards, Barefoot Tap Dancer(Part2)

(パート1から続き)

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『ハーレム・ナイツ4』は、金曜、土曜(2回公演)、日曜(31日)まであと4回あります。詳細は『ハーレム・ナイツ』公式ウエッブで。
http://www.yokohama-landmark.jp/event/details/0506_harlem.html

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■昨年の『ハーレム・ナイツ』のライヴ評
2004/07/31 (Sat)
Harlem Nights III: Bring Your Cake For Lonnie’s Birthday
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200407/diary20040731.html

■オマーの従兄弟、セヴィアンがでた『ノイズ&ファンク』のライヴ評
2003年3月22日付け日記
Bring In ’Da Noise, Bring In ’Da Funk: Soul explosion!
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200303/diary20030322.html

■オマー、セヴィアンなどの大先輩、グレゴリー・ハインズの訃報
2003/08/11 (Mon)
Gregory Hines Dies at 57
グレゴリー・ハインズ癌で死去.
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200308/diary20030811.html

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Setlist Harlem Night At Landmark Hall
July 28, 2005 (Thursday)

1st set

show started 19:09
01. Sugarhill Jazz Quartet : Stoney Island
02. Jerico
03. Omar Edwards: Vamp
04. Newspaper
05. African Song  〜 Masato (Japanese boy)
06. Taps
07. Mintzy: Stormy Monday
08. Stand By Me
09. Teach Me Tonight
10. Be Witched
11. Summer Time
12. L.O.V.E.
13. Amazing Grace (+James Carter)
show ended 20.13

2nd set

show started 20.34
01. Omar: Acapella Tap
02. Everybody Was Sweets (Omar & Sugarhill)
03. Thank You Heavenly Father (Omar & Mintzy & Sugarhill)
04. Way Over The Town (Omar & Mintzy & Sugarhill)
05. Early In The Morning (Mintzy & Sugarhill)
06. James Carter (Sax): Lester Leaps In
07. Caravan
08. Body & Soul
09. Frisco Follies
10. Oh Happy Day
show ended 21.28

Performers:

ジェームス・カーター(サックス) 
ミンツィー・ベリー(ヴォーカル)
オマー・エドワーズ(タップダンス)
シュガーヒル・ジャズ・カルテット
 ペイシャン・ヒギンス(サックス)
 アンディー・マックロウド(ベース)
 マーカス・ペシアーニ(ピアノ)
 グレッグ・バンディー(ドラム)

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(2005年7月28日木曜、横浜ランドマーク・ホール=ハーレム・ナイツ4・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Harlem Nights 4>Sugarhill Jazz Quartet / Edwards, Omar / Berry, Mintzy / Carter, James
【裸足のタップダンサー】

裸足。

横浜ランドマーク・ホールで行われているイヴェント『ハーレム・ナイツ』。昨年に引き続いて、今年は4回目。今回の目玉は、サックス奏者、ジェームス・カーター。昨年とは少しプログラム内容を変えているが、ブラック・ミュージックを全体的に俯瞰し、その楽しさを存分に見せてくれるところは同様だ。昨年を見ても、今年は違っていたので充分満足できる。

やはり、ジャズ、ソウル、R&B、ゴスペル、ブルース、スタンダード、そして、タップダンスなどあらゆるブラック・ミュージック、ブラック・エンタテインメントをここに凝縮しているところが楽しい。

小柄ながら迫力のミンツィー・ベリーは、横から見ると、ヘアスタイルなども含めてちょっとジェームス・ブラウンを思わせた。(気分害したら、ごめんなさい、ミンツィーさん。動きとか、歌の迫力がブラウンばりということで) ミンツィーは、ゴスペル、ブルース、ソウルからジャズまでなんでも歌える。

ファーストセット最後の曲「アメイジング・グレイス」は、ミンツィーの歌が炸裂していたが、その途中から、いきなりジェームス・カーターがサックス・ブロウしまくりで、登場。ヴォーカルとサックスのバトルが、舞台上で始まった。カーターは思い切り熱いサックスを聴かせる。

さて個人的に、今回の「ハーレム・ナイツ」の中でもっとも感銘を受けたのはオマー・エドワーズのタップだ。シュガーヒル・ジャズ・カルテットが2曲演奏してオマーが登場した時、彼はスニーカーを履いていたのだ。タップは、普通タップシューズという固い革靴を履く。マイケル・ジャクソンがムーンウォークの時に、つま先立ちするように、固い靴でつま先だけで立て、さらに、床板を叩いたときにいい音がでるようになっている。さらに、床板の上で滑り易くなければならない。スニーカーでは、とてもそんなことはできない。まずその足元を見て、度肝を抜かれた。僕は舞台上手側前方で椅子に座って見ていたが、思わず立ち上がって壁に寄りかかって見とれた。

1曲スニーカーでタップを決め(下記セットリストで「ヴァンプ」にあたる)、彼が舞台の上手方向に移動すると、そこに一枚の新聞紙が広げられていた。彼はその新聞紙の上に乗り、自らの身体を滑らせ始めたのだ! な〜〜るほど。スニーカー自体では滑らない。そこで、新聞紙の上で、スケートをするというわけだ。新聞紙の上で、まさに自由自在に彼は泳いでいる。そして、新聞紙を足で二つに切り裂いて、今度は両足を広げて、普通にタップをするようにタップを見せた。最後は、その新聞紙を蹴り上げて、床板の外に放りだした。こんなクリエイティヴなタップはあるのだろうか。(下記セットリストで「ニュースペーパー」にあたる)

彼は切り裂いた新聞紙を蹴り上げたかと思うと、そのスニーカーも舞台そでに蹴り捨て、裸足になったのである。「ええっ? どうする気?」 流れ出した音楽はアフリカ調の曲。(セットリストでは、「アフリカン・ソング」) これにあわせて、彼はなんと裸足でタップをやり始めたのだ! 裸足でタップ! あり得ない。でも、やっている。もちろん、音はタップシューズや、スニーカーの時よりも、生足の音で、違うが、やはりタップである。昨年、彼のタップを見て、セヴィアン・グローヴァーのほうが迫力がある、なんて書いた自分が恥ずかしい。恐るべき、オマー・エドワーズ。裸足のタップダンサー。その裸足のタップを見てるだけで、僕はなんとも言えずに感動した。

そして、それが終ると日本人の少年マサト君がタップシューズを持ってオマーのところへ。オマーがシューズを履く間、彼が華麗なタップを見せた。小学生くらいか。なかなか決まってる。そして、オマーがタップシューズを履いて、1曲、ティピカルなタップを披露した。あのカンカンなるタップシューズの音を響かせて。

タップシューズを履かせたら、彼の動きは見違えるようだ。爪先立ちも、360度の回転技も自由自在。彼が勢いをつけてくるりと孤を描いて360度ターンをした時、汗の飛沫(しぶき)が、さーっと彼の周りに飛び散った。なんという美しい汗飛沫か。おそらく1秒の何分の1かのその瞬間をカメラに収めたいと思った。ちょうど僕は角度的にほぼ真横の位置から彼のタップを見ていたので、汗飛沫がステージの前のほうにさ〜と飛ぶのがきれいに見えたのだ。ちょうどバックが黒壁で、そこに飛沫が白く光って映った。あ〜〜、すばらしい。

彼のパフォーマンスを振り返るとこうなる。1)スニーカーでタップ、2)スニーカーで新聞紙の上でタップ、3)裸足でタップ、4)通常のタップシューズでのタップ。わずか13分ほどの間にこれだけのヴァリエーションをいれたのだ。しかも、タップだけである。なんという濃密なパフォーマンスか。いやあ、僕はこの13分だけでも充分価値があったような気がした。

セカンドセットでは、観客席中央にお立ち台を作り、今度は赤いスーツと帽子を被って登場。バンド演奏なしのタップだけ、つまり、タップ・アカペラだけで、どうしてこんなにソウルを直撃されるのだろう。不思議だ。だが、オマーにそれだけ強烈なソウルがあるからなのだろう。

ライヴが終って出演者が、入口に出てきて、即売会とサイン会を始めた。そこにオマーも登場した。近くで見ると、実に背が高い。190くらいあるだろうか。これは聞かずにはいられない。「あの、裸足のタップはいつ頃から始めたのですか」 「あれか、もう7-8年になるかな。97-8年頃からやりだしたよ」 「じゃあ、昨年来た時もやりましたか?」 「やったよ」 あれ〜〜、気づかなかったなあ。去年は一番後ろで見てたからかなあ。ひょっとして、スニーカーや裸足でやっていたから、タップの切れが、セヴィアンのほうが迫力あるなんて思ったのだろうか。

「どうして、また、裸足でタップをやろうなんてアイデアが浮かんだんですか?」 「ほんとに知りたいのか?」 彼は回りに集まったファンたちにサインをしながら答えている。彼らはオマーのTシャツを買って、そこにサインをもらっている。「もちろん、知りたいですよ」 「そうか、僕の母親はアフリカからやってきたんだ。本当のアフリカだよ。とても原始的なね。母親はずっと靴を持っていなかった。彼女が最初に靴を手に入れたのは14歳の時だった。母親はそれまで裸足で農場でスケアクロー(案山子=かかし)の仕事をしていた。農作物を烏(からす)から守るために、追い払うような仕事だ。裸足で母は烏を走って追っ払っていた。そこから、裸足でタップをやることを思いついたんだ」 なるほど。それで、この部分の音楽がアフリカ調の曲なわけだ。

「アメリカではあなただけのフルショウをやってるんですか」 「やってるよ。何分くらいかって。90分くらいできるよ。グレゴリー・ハインズのショウは見たことあるか? あんな感じだよ。バンドがいて、ラップをいれたりして」 「グレゴリーは、90年代に東京に彼がきた時にライヴを見ました」 

オマーは、セヴィアン・グローヴァーの従兄弟だという。そのセヴィアン・グローヴァーのタップを『ノイズ・アンド・ファンク』で見た時にこう書いた。「たかがタップ、されどタップ。肉体だけが生み出すことができる主張。言葉ではなく、体から放たれる喜び、怒り、悲しみ、魂の叫び。黒人の尊厳とプライドが、たった二本の足元から発信される。ブルーズ、ゴスペル、ジャズ、ソウル、そして、ダンス。」 すべてがたった二本の足元から発信されているところにソウルの真髄がある。ザ・ソウル・サーチャー、本日、ここにもうひとつのソウルを捜し求めたなり。

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『ハーレム・ナイツ4』は、金曜、土曜(2回公演)、日曜(31日)まであと4回あります。詳細は『ハーレム・ナイツ…
【シンコペーション、今、彼らに必要なもの】

3A。

昨年9月、縁あってアメリカ・ボストンを本拠に活躍する4人組ヴォーカル・グループ、シンコペーションのライヴを目黒のブルース・アレーで見た。その縁とはサンフランシスコのピアニスト、サヤの事務所が彼らを手がけているということだった。その彼らが約10ヶ月ぶりに再来日。今回は全国ツアーを展開している。東京地区、舞浜のイクスピアリに続いて行われた目黒・ブルース・アレーで2日間ライヴを見せた。

さらに縁というのは不思議なもので、先日フランクリンズでピアノを弾いてくれた永田ジョージさんと、このシンコペーションの阿部さんが大学同級生だったという。そこで、永田さんはこのシンコペーションを勝手連的に大変な勢いで宣伝・プロモーションをしている。

シンコペーション、徹底応援サイト(下の古い日付の日記から順にお読みください)
http://kamesan.net/blog/archives/syncopation/

ひじょうにユニークな応援なので、興味ある方、ぜひ、ご参加を。口コミマーケティングで熱烈応援中。その応援もあってか、2日とも満員の入り。観客も彼らのライヴを見るのが初めてという人たちが半分以上で、口コミマーケティング、徐々にジャブが効いてるようだ。(お初が半分で思い出したが、毎回半分以上が初めての観客というのが、ピアニスト、深町純さんのライヴだ。今週末30日に、過去2回連続で都合で行けなかったので、3ヶ月ぶりに行く)

シンコペーションは、アメリカ人3人(クリスティーン・フォーンソン、クリスティー・ブルーム、ジェレミー・ラグスデイル)と日本人阿部恒憲(あべ・つねのり)の4人組ヴォーカル・グループ。一言で言えば、マンハッタン・トランスファーのようなヴォーカル・グループだ。スタンダード・ナンバーなどをしっかりしたハーモニーで聞かせ、親しみ易いトークで観客を乗せる。

日本人の阿部さんが入っているということで、心情的にどうしても応援したくなる。野茂が、イチローが、そして、W松井がメジャーリーグで活躍するのを見れば、音楽の世界でもメジャーで活躍する日本人アーティストを見たいと思うのは、誰しも同じ。

ライヴ全体を通して見ての印象は、彼ら4人の人間性、人柄、性格がとてもいい感じだということ。みんな性格良さそうで、楽しそうに音楽をエンジョイしてる。このハッピーさが、観客に伝われば、観客もまちがいなくハッピーになれる。ピアニストがソロを弾いていれば、4人が揃ってそのピアニストのほうに向かって、一生懸命聴いている。これからもきっちり仕事を進めていけば、階段を一歩ずつ上がっていくことだろう。

さて、一方で音楽面での率直な感想と、さらに一歩高いレヴェルを進むための前向きな提案をしてみたい。アカペラ・グループあるいはそれに順ずるヴォーカル・グループだと、横綱の位置にはテイク6、最近はナチュラリー7、そして、別枠でマンハッタン・トランスファーがいる。歴史的な時系列で行けば、マンハッタン→テイク6→ナチュラリー7だ。それぞれがすべてヴォーカル・グループというカテゴリーの中で10年単位の中で進化を果たしている。これら3組をビッグスリーとするなら、彼らはそれぞれ、一瞬聴いただけで、彼らということがわかるひじょうにオリジナリティーがある。しかも、コーラス・ハーモニーの妙や、選曲のヴァリエーションなども素晴らしい。

彼らテイク6たちが、野球で言えばメジャーリーグの中でも、頂上に位置すると、このシンコペーションはメジャーリーグのひとつ下、3Aくらいにいる。なんとかがんばってもらって、メジャーの一軍のメンバーに入って欲しいところ。そして、一軍のロースター(選手枠)に入ったら、今度はレギュラー枠に入って欲しい。そして、レギュラーで活躍を続けるうちに、打者であれば、次々ヒットを放って、打撃のベスト10に名前を連ねるようになって欲しい。現段階で言えば、そういう感じだ。ではどうしたら、メジャーの一軍のロースターに入れるか。

やはり、全体的には4人のコーラスということで、どうしても、コーラスの幅が薄い。また、サウンドがマンハッタン・トランスファーに似てしまっていて、マンハッタン・トランスファーを思い起こさせてしまう。おそらく、遅かれ早かれ、彼らはマンハッタン・トランスファー的なものには別れを告げなければならない。そこで、例えば、ベースにものすごく太くて低い声を持つ黒人のシンガーをいれて5人組にしてみたらどうだろう。それだけで、かなり違った色彩になると思う。ヴィジュアル的にも、白人、日本人、黒人と揃えば、おもしろいかもしれない。もちろん、高音できれいなファルセットを歌えるシンガーなどをいれたらもっといいだろう。あるいは、4人の誰かがファルセットをやってもおもしろいかもしれない。声幅のヴァリエーションをつけるということだ。時代的には、ヴォーカル・グループ自体が4人、6人、7人と限りなくメンバーが増える中でヴァリエーションがでるようになっているので、そこで4人だけだとなかなか太刀打ちできない。

また、リード・シンガーをもう少しフィーチャーしてもいいかもしれない。例えば、一番魅力的な声の持ち主、クリスティーをもっとリード・シンガーとしてフィーチャーして、3人がバックコーラスに徹するという手もある。セカンドセットの3曲目「ヒーズ・ア・トランプ」では、そうした方法を見せたがこれをもっと徹底する。ちょうどグラディス・ナイト&ピップスのような形態だ。彼女を、シンコペーションの顔のように打ち出すのだ。そして、ひとたび彼女が顔として定着したら、徐々に他のシンガーのフィーチャー曲を加えていく。リードシンガーを打ち出さずにコーラスを前面に押し出すと、どうしてもマンハッタン・トランスファー色がでてしまう。

今回全16曲の中でもっとも印象に残ったのは、「ゲットアウェイ」だった。これは一曲の中でも実にヴァラエティーにとんでいて、ひじょうにおもしろかった。ここでは、サックスの部分をサックス奏者がやっていたが、口でサックス部分をやってもいいだろう。ヴォイス・パーカッションも、さらに磨きをかけてワンランク上を狙って欲しい。

先にあげたビッグスリーのヴォーカル・グループのほかに、アル・ジャロウ、ボビー・マクファーリンあたりの声の魔術師たちのライヴを徹底して研究してみると、新たなインスピレーションが沸くことだろう。ひとついえることは、人間の声には、ものすごく無限の可能性があるということ。考えられないほどのことが、人間の声ではできる。もっともっと声を研究して、声だけでこんなことができるのか、というところを見せてほしい。

シンコペーションのオフィシャル・サイト
http://www.jazzsyncopation.com/

Setlist 

First set

show started 19.42
1. Yardbird Suite
2. My Romance
3. Time After Time
4. Fotografia
5. I Can Fly
6. Cherokee
7. A New Dance
show ended 20.34

2nd set

show started 21.08
1. Route 66
2. Getaway
3. He’s (Lady’s) A Tramp
4. (They Long To Be) Close To You
5. Baba Yetu
6. You Don’t Know What Love Is
7. Betcha By Golly Wow
8. Of Blue
Encore. Both Sides Now
show ended 22.09

(2005年7月26日火曜、目黒ブルースアレー=シンコペーション・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Syncopation
【エリック・ベネイ来日決定】

5年ぶり。

エリック・ベネイの来日が決まった。2005年9月、大阪ブルーノート、東京ブルーノート、横浜モーションブルーなどでライヴを行う。ベネイの来日は3度目。およそ5年ぶりの来日となる。東京では前回は新宿のリキッドルームだった。

日程は次の通り。

9月26日(月) 大阪ブルーノート 06-6342-7722
9月29日(木)〜10月1日(土) 東京ブルーノート : 03-5485-0088
10月2日(日) 横浜モーション・ブルー 045-226-1919
10月3日(月) 名古屋ブルーノート 052-961-6311

エリック・ベネイは6月に6年ぶりの新作『ハリケーン』をリリースしたばかり。新作発売、そして、ツアーといういいタイミングでの来日となる。

エリックの新作について。
http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_06_21.html

エリック・ベネイは1969年10月5日ウイスコンシン州ミルウォーキー生まれ。92年、姉妹のリサ・マリーといとことともにグループ、ベネイとしてキャピトルからデビュー。このアルバムはほとんど話題にならずに、エリックはソロ・シンガーへ独立。96年、改めてソロ・シンガー、エリック・ベネイとしてワーナー・ブラザースから再デビュー。

デビュー作『トゥルー・トゥ・マイセルフ』からは、映画『シン・ライン・ビットウィーン・ラヴ・アンド・ヘイト』に収録された「レッツ・ステイ・トゥゲザー」(アル・グリーンの作品とは同名異曲)がヒット。いわゆる「ニュー・クラシック・ソウル」「ネオ・ソウル」の第一人者として注目された。

さらに99年ソロ第2弾『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』からは、新進気鋭の女性シンガー、タミアをフィーチャーした「スペンド・マイ・ライフ・ウィズアウト・ユー」がブラックで1位を記録する大ヒットになった。

そして、以来6年ぶりの新作が、こんどの『ハリケーン』となる。2001年から2003年まで、アカデミー女優、ハル・ベイリーと結婚していた。

前回の来日から5年。前回来日もソウルファンを中心に大いに盛り上がったが、今回はさらに小さい会場ということでかなり熱気あふれるライヴになるだろう。

また、エリック・ベネイは10月2日(日曜)の『ソウル・ブレンズ』への生ゲストが内定している。

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写真は、エリック・ベネイ最新作『ハリケーン』の中ジャケ。どうみても、平井堅だ。松尾潔さん、ベネイに平井堅のCD送ってるでしょう? それにしても、新作中の「インディア」(8曲目)、これはいい! 何度聴いても。

ENT>ARTIST>Benet, Eric
【マーヴィンとちさとがノンコーズのアルバムに】

デビュー! 

ニュース、ニュース! 『ソウル・ブレンズ』のDJ、マーヴィン・デンジャーフィールドに、先日番組ゲストでやってきたノー・コーズのメンバーから、レコーディングのお誘いがあり、日曜日生放送終了後、スタッフみんなでスタジオに遊びに行った。

11月に発売する予定の新作アルバム(タイトル未定)での、2曲で何かやってくれないかというリクエスト。結局スタジオでトラックを聴いた後、マーヴィンが軽くフリー・スタイルでラップすることになった。

曲はけっこうアップテンポの実にかっこいい曲。マーヴィンは聴きながら、メモパッドに何か書いている。そして、とりあえず一回やってみましょうか、ということで、ブースの中に。いきなり、マーヴィンの軽快なラップが始まった。「おおおっ〜〜」 スタジオのこちら側はいきなりびっくりする。踊りながら、こぶしをつきあげながら、早口でラップを続ける。2-3度、マーヴィンが「もういちど〜」と言って、やり直すが、次のテイクでOK。途中からは、自分で書いたメモ用紙も見ずにひたすらのりのりでラップしてる。

「この調子なら、朝までラップしてるんじゃないか?」と僕。「ほんとですね」とオッシー。「どうせなら、あの機関銃英語の中に、『ソウル・ブレンズ』って言ってもらおうよ。どうせ、わかんないよ(笑)」 「いいですねえ・・・」 インスト曲がマーヴィンのラップでいきなり、ドファンキーになってしまった。さすが、ナイル・ロジャースとためでフリースタイルのラップをやった男! 

ノンコーズのノブさん、後藤さんらも、ブースからでてきたマーヴィンに拍手でこたえる。ノブさんいきなりマーヴィンに尋ねる。「マーヴィンさ、最高、最高。ね、ねえ、8月24日、あいてる? それと、9月14日? ライヴあるんだけど、来ない?」 「ダイジョウブよ〜〜」とマーヴィン。ノンコーズのライヴにフィーチャリング・ゲストだ! 

これはなかなかのサプライズだったが、サプライズ第2弾がまだあった。後藤さんが「いやあ、このあともう1曲、別の曲で女性のセクシーな声が欲しいんですよ。ぜひお願いします」とチーちゃんにオファー。

そのトラックを聴かせてもらうと、イントロで一応仮のガイドヴォーカルがセクシーにはいっていて、それにあわせてやってくれ、という。「ウーンとかオーンとか、そういう感じ」 「私、こう見えてもシャイなんです」とチーちゃん。へえ、シャイなんだ。じゃあ、略して、シャイ・チーか。後藤さん、「明かり、暗くしますから・・・」 すると、チーちゃん、ブースでこちらに顔が見えないように、後ろ向きになってしまった。(笑) 

何をしゃべるか、マーヴィンに教えてもらって、結局、「ドント・ストップ〜(やめないで〜〜)」という言葉をセクシーに言うことになった。この曲、冒頭の藤井さんのサックスが実に淫靡(いんび)な感じで、たまらなくエロチック。そこにチーちゃんの意外と低いセクシー・ヴォイスがからまった。

「これは、大変なことになりましたね。ノンコーズのアルバム出る時には15分なんて枠じゃなくて、大特集しなきゃね!」と僕。「そうですね、決めました。リリースの時には、一時間でノンコーズ大特集、やりましょう」とオッシー。 こらあ、大変だ〜〜。この曲、まだどうなるかわからないが、CDの一曲目になる可能性もあるという。そうなると、CDショップの試聴機で、みんながチーちゃんのセクシーヴォイスを聴くことになる。わおっ! マーヴィン&チーちゃんCDデビューだ。今秋に注目。

ENT>MUSIC>ARTIST>Non Chords
【シャイ・ライツで30分】

黙祷。

昨日の『ソウル・ブレンズ』の「4PMアット・スロー・ジャミン」は、急遽、金曜(22日)に亡くなったユージーン・レコードへのトリビュートということで、シャイ・ライツの作品ばかりを30分間ノンストップでかけた。かけた曲は順に「トビー」「ハヴ・ユー・シーン・ハー」「イエス・アイム・レディー」「コールデスト・デイズ・オブ・マイ・ライフ」「ア・ロンリー・マン」そして最後に「オー・ガール」。6曲連続。

スロー・ジャミンを全部一アーティストでやったのは、先日のルーサー以来だが、こうして、シャイ・ライツだけ連続でかける番組など、おそらく日本広しと言えどもこの『ソウル・ブレンズ』くらいしかないのではないだろうか。微妙に自負。

本当にこうして流しているだけで、空気が変わってくる。オッシー曰く「いやあ、(ニューヨークの)WBLSみたいですねえ」。いや、ほんとほんと。6曲連続でかけるだけで、何百万語を語るよりも、はるかにトリビュートになるから、音楽の力は強い。

WBLSがルーサーの時に24時間ルーサーだけをかけたという話を聞いたときには感激したものだが、シャイ・ライツの場合、シカゴのソウル・ステーションは24時間シャイ・ライツをかけ続けたのだろうか。

シャイ・ライツは86年9月に渋谷のライヴインに来日している。75−6年頃だったか来日話があったが、流れた。その時はチケットを買っていてかなり楽しみにしていたが、中止でけっこうショックだった。FENのDJ、ピート・パーキンスという人が来日を企画したことをおぼろげに覚えている。渋谷のライヴインは、行っていると思うのだが、どうにもはっきりした記憶がない。

シャイ・ライツの4作目『ア・ロンリー・マン』(72年)はリリースされた頃よく聴いた。72年の大ヒット「オー・ガール」を含むアルバムで、ここには長尺8分を越える「コールデスト・デイズ・・・」が収録されている。「ア・ロンリー・マン」も、ちょっとミディアム調の「ビーイング・イン・ラヴ」も、たまらなく素晴らしい。このメロディーとユージーンのリード・ヴォーカル、特にナレーションのところなど、ソウル・バラードの王道を行く。

「One month ago, I was a happy as a lurk(一月前まで、僕は鳩のように幸せだった)」(「ハヴ・ユー・シーン・ハー」のオープニング・ナレーション)という冒頭のセリフは、覚えるほどまで聞いた。

今日かけた6曲は、いずれも失恋ソングというか、恋がうまく行っていない状況のラヴソング。ユージーンはこういう曲を書かせ、歌わせると最高だ。

シカゴのともし火、今、ひとつここに消え行く。ユージーン・レコードへ黙祷。

++お勧めアルバム

シャイ・ライツ 『オー・ガール +1』
シャイ・ライツ 『グレイテスト・ヒッツ』
シャイ・ライツ 『(フォー・ゴッズ・セイク)ギヴ・モア・パワー・トゥ・ザ・ピープル 』
シャイ・ライツ 『アイ・ライク・ユア・ラヴィン(ドゥー・ユー・ライク・マイン)+2 』

ENT>OBITUARY>Record, Eugene>2005.07.22 (64)

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