【ジャズ・キーボード奏者ジョー・サビヌル死去】

革新的。

ジャズ・キーボード奏者、ジョー・ザビヌルが2007年9月11日、生まれ故郷オーストリアのウイーンで亡くなった。75歳だった。ジョー・ザビヌルは1932年7月7日ウイーン生まれ。チック・コーリア、ハービー・ハンコックらと並んで、ジャズ、フュージョンの発展に大きく寄与した。

奨学金を得てボストンのバークリー音楽院に入学するが、すぐにプロの道へ。1961年キャノンボール・アダレーのバンドのキーボード奏者になる。ここで彼の書いた「マーシー・マーシー・マーシー」が大ヒット。

1969年にマイルス・デイヴィス・グループのレコーディングに参加。アルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』、『ビッチズ・ブリュー』などの傑作に寄与した。『ビッチズ・ブリュー』では当時のアナログ片面全面を費やした「ファラオズ・ダンス」に参加して話題を集めた。

その後1970年、ウェイン・ショーター、ミロスラフ・ビトウスらとともにウェザー・リポートを結成、大センセーションを巻き起こす。ここには、天才ベース奏者ジャコ・パストリアスも抜擢。

ザビヌルの作品の中では1977年のアルバム『ヘヴィー・ウェザー』に収録された「バードランド」も有名。特に、マンハッタン・トランスファーが録音しヒットさせ、彼らの重要な持ち歌になった。1986年にウェザー・リポート解散、1995年ザビヌル・シンジケートを結成、ここでリチャード・ボナを起用。2006年には、日本の男性向けファッション誌「Z(ジー)」の表紙を飾っていた。

彼はエレクトリック・ピアノの初期から使用、さらにシンセサイザーも早くから導入。常に革新的に新しいサウンドに挑戦してきた。

ザビヌルは、ヨーロッパツアーを終えて1週間もしない9月7日に入院、その後9月11日に帰らぬ人となった。ガンだった、という。最近では1997年(渋谷クアトロ)、2003年10月、2005年5月、2006年8月(ブルーノート)などに来日していた。

■マイルス・デイヴィス 『ビッチズ・ブリュー』

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■ウェザー・リポート 『ヘヴィー・ウェザー』

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OBITUARY>Zawinul, Joe / July 7, 1932 - September 11, 2007 (75)