【悲劇のシンガー、フィリス・ハイマンの自伝全米発売】
自伝。
1970年代から活躍し一世を風靡(ふうび)し1995年6月30日に自殺したソウル・シンガー、フィリス・ハイマンの自伝が9月に発売された。筆者はジャーナリストのジェイソン・A・マイケル。マイケルは、ハイマンの死後すぐに彼女のストーリーを書こうと思ったが、何度も挫折し、結局完成させるまでに12年の歳月がかかってしまった。タイトルは『ストレンス・オブ・ア・ウーマン: フィリス・ハイマン・ストーリー』(女性の強さ:フィリス・ハイマン物語)。
マイケルは言う。「彼女の死後すぐに、本を書きたいと思った。まちがいなくそこにはストーリーがあると感じた。でも、その頃僕はまだ大学生だった。いろいろ挑戦したんだが、当時はうまく物事を進められなかった。自分以外にもハイマンのストーリーを書く人物が現れるかと思ったが、6年経ってそうした人物は現れなかった。ハイマンの本を読みたいと思ったら、僕が書くしかないと感じた。そして、書こうと思って3度目にしてやっと完成した」
マイケルは完成した作品をニューヨークのいくつかの出版社に売り込みに行ったが、どこの社からも「フィリスの本のマーケットはない」と断られた。さらに、エージェント2社を通じて売込みを続けたが、出版社はハイマンが死後マーヴィン・ゲイのようなアイコンになっていないこと、また、多くの人が彼女のことを記憶していないことなどを売れない理由として挙げていた、という。出版社は結局そのアーティストのファンがどれくらいいるのかにしか関心はなかったようだとマイケルは感じている。結局、大手出版社からのリリースはかなわず、マイケル自身がジャムブックスを設立、発売することになった。
マイケルは言う。「僕のゴールは、彼ら(大手出版社)がまちがっていたこと、そして、大きな機会を逃したと証明することだ」
マイケルは、フィリスの歌声の魅力に惹かれたひとり。「僕は彼女の声に痛みを聴く。それが僕の胸に直接響いているのだと思う。フィリスが死んだとき、僕は(R&Bシンガー)ベティー・ライトの下で働いていた。ベティーは1970年代にフィリスと一緒に仕事をしたことがあった。もちろん、ベティーは大変ショックを受けていたが、フィリスの自殺についてはそれほど驚いていなかった。このときに、僕はきっと何か(彼女の人生には語られるべき)ストーリーがあるに違いないと嗅ぎ取ったんだ」
彼自身はフィリス本人に会ったことはないが、周辺取材で書き上げた。「むしろ、会わなかったことで、自分の(彼女に対する)主観が入らず、バランスのとれた作品になったと思う」と語る。
取材によると、フィリスは1995年6月の自殺以前に1989年と1990年と2度自殺を試みていたという。躁鬱病でリタリンという薬を処方され、また、アルコール依存症にもなっていた。リハビリも何度か試したが、依存症から完全に抜け出ることはできなかった。彼女自身の心の問題は、ずっと公にはされず、秘密にされていた。しかし、彼女はステージでは明るく振舞い、オーディエンスにはこれっぽっちもそうした影の闇の部分を見せることはなかった。
リタリンは最近、急速に注目集めている薬で、抗躁鬱などに処方されるが、一時的な幸福感を得られ、また中毒性があることから、ドラッグ代わりになり始め、大きな社会問題となっているもの。特に副作用が強く、それによって自殺に至るケースが報告されている。もっとも10年以上前まではそこまでの研究はなされていなかった。
(奇しくも毎日新聞が「リタリン」問題を追及中)
<薬物依存症>「リタリン」で急増 医師の安易処方が原因か (毎日新聞)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_ritalin__20070919_1/story/18mainichiF0918m112/
<リタリン>大量処方で幻覚 25歳男性自ら命絶つ 名古屋 (毎日新聞)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_ritalin__20070919_1/story/18mainichiF0918m113/
著者であるマイケル自身にも躁鬱病の症状があり、フィリスのストーリーをリサーチしていくにつれ、彼女の物語から多くを学ぶことになったという。「彼女は自分の人生を自らの手で断ち切った。だが、僕自身がこうしてしっかり自分の人生を生きているのは彼女の(ことから多くを学んだ)おかげだと言いたい」
取材によれば、フィリスの両親のうち父親はアルコール依存症、母親も躁鬱、また2人の兄弟も躁鬱気味だったという。したがってフィリスの誕生から、彼女には悲劇のヒロインへの道が用意されていたのかもしれない。その人物にクリエイティヴな才能があり、性格が繊細であればあるほど、さまざまなことに落ち込み、憂鬱になるのだろう。
幼少時代、成長する時代、大人になってからのアルコールとドラッグ漬けの時代。また、映画『カラー・パープル』のオーディションでシュグ・エイヴリー役(主役ウーピー・ゴールドバーグの夫の愛人で歌手=マーガレット・エイヴリーが演じた)を取れなかったときの落胆、彼女が所属していたアリスタ・レコード社長クライヴ・デイヴィスとの衝突、その頃人気だった女性アーティストたち、ジョディー・ワトリー、ヴァニティー、ポーラ・アブドゥールらについてのコメントなども収録されている。
まさに、苦悩の人生を歩んできたフィリス・ハイマンのストーリーは、ソウル・サーチンの連続だったにちがいない。
■著作のオフィシャル・ウェッブ(英語版)
http://www.phyllishymanstory.com/
(ここから買えます)
■フィリス・ハイマン 『ユー・ノウ・ハウ・トゥ・ラヴ・ミー 』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00000K5AK/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>MUSIC>ARTIST>Hyman, Phyllis
ENT>MUSIC>BOOK>Hyman, Phyllis
自伝。
1970年代から活躍し一世を風靡(ふうび)し1995年6月30日に自殺したソウル・シンガー、フィリス・ハイマンの自伝が9月に発売された。筆者はジャーナリストのジェイソン・A・マイケル。マイケルは、ハイマンの死後すぐに彼女のストーリーを書こうと思ったが、何度も挫折し、結局完成させるまでに12年の歳月がかかってしまった。タイトルは『ストレンス・オブ・ア・ウーマン: フィリス・ハイマン・ストーリー』(女性の強さ:フィリス・ハイマン物語)。
マイケルは言う。「彼女の死後すぐに、本を書きたいと思った。まちがいなくそこにはストーリーがあると感じた。でも、その頃僕はまだ大学生だった。いろいろ挑戦したんだが、当時はうまく物事を進められなかった。自分以外にもハイマンのストーリーを書く人物が現れるかと思ったが、6年経ってそうした人物は現れなかった。ハイマンの本を読みたいと思ったら、僕が書くしかないと感じた。そして、書こうと思って3度目にしてやっと完成した」
マイケルは完成した作品をニューヨークのいくつかの出版社に売り込みに行ったが、どこの社からも「フィリスの本のマーケットはない」と断られた。さらに、エージェント2社を通じて売込みを続けたが、出版社はハイマンが死後マーヴィン・ゲイのようなアイコンになっていないこと、また、多くの人が彼女のことを記憶していないことなどを売れない理由として挙げていた、という。出版社は結局そのアーティストのファンがどれくらいいるのかにしか関心はなかったようだとマイケルは感じている。結局、大手出版社からのリリースはかなわず、マイケル自身がジャムブックスを設立、発売することになった。
マイケルは言う。「僕のゴールは、彼ら(大手出版社)がまちがっていたこと、そして、大きな機会を逃したと証明することだ」
マイケルは、フィリスの歌声の魅力に惹かれたひとり。「僕は彼女の声に痛みを聴く。それが僕の胸に直接響いているのだと思う。フィリスが死んだとき、僕は(R&Bシンガー)ベティー・ライトの下で働いていた。ベティーは1970年代にフィリスと一緒に仕事をしたことがあった。もちろん、ベティーは大変ショックを受けていたが、フィリスの自殺についてはそれほど驚いていなかった。このときに、僕はきっと何か(彼女の人生には語られるべき)ストーリーがあるに違いないと嗅ぎ取ったんだ」
彼自身はフィリス本人に会ったことはないが、周辺取材で書き上げた。「むしろ、会わなかったことで、自分の(彼女に対する)主観が入らず、バランスのとれた作品になったと思う」と語る。
取材によると、フィリスは1995年6月の自殺以前に1989年と1990年と2度自殺を試みていたという。躁鬱病でリタリンという薬を処方され、また、アルコール依存症にもなっていた。リハビリも何度か試したが、依存症から完全に抜け出ることはできなかった。彼女自身の心の問題は、ずっと公にはされず、秘密にされていた。しかし、彼女はステージでは明るく振舞い、オーディエンスにはこれっぽっちもそうした影の闇の部分を見せることはなかった。
リタリンは最近、急速に注目集めている薬で、抗躁鬱などに処方されるが、一時的な幸福感を得られ、また中毒性があることから、ドラッグ代わりになり始め、大きな社会問題となっているもの。特に副作用が強く、それによって自殺に至るケースが報告されている。もっとも10年以上前まではそこまでの研究はなされていなかった。
(奇しくも毎日新聞が「リタリン」問題を追及中)
<薬物依存症>「リタリン」で急増 医師の安易処方が原因か (毎日新聞)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_ritalin__20070919_1/story/18mainichiF0918m112/
<リタリン>大量処方で幻覚 25歳男性自ら命絶つ 名古屋 (毎日新聞)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_ritalin__20070919_1/story/18mainichiF0918m113/
著者であるマイケル自身にも躁鬱病の症状があり、フィリスのストーリーをリサーチしていくにつれ、彼女の物語から多くを学ぶことになったという。「彼女は自分の人生を自らの手で断ち切った。だが、僕自身がこうしてしっかり自分の人生を生きているのは彼女の(ことから多くを学んだ)おかげだと言いたい」
取材によれば、フィリスの両親のうち父親はアルコール依存症、母親も躁鬱、また2人の兄弟も躁鬱気味だったという。したがってフィリスの誕生から、彼女には悲劇のヒロインへの道が用意されていたのかもしれない。その人物にクリエイティヴな才能があり、性格が繊細であればあるほど、さまざまなことに落ち込み、憂鬱になるのだろう。
幼少時代、成長する時代、大人になってからのアルコールとドラッグ漬けの時代。また、映画『カラー・パープル』のオーディションでシュグ・エイヴリー役(主役ウーピー・ゴールドバーグの夫の愛人で歌手=マーガレット・エイヴリーが演じた)を取れなかったときの落胆、彼女が所属していたアリスタ・レコード社長クライヴ・デイヴィスとの衝突、その頃人気だった女性アーティストたち、ジョディー・ワトリー、ヴァニティー、ポーラ・アブドゥールらについてのコメントなども収録されている。
まさに、苦悩の人生を歩んできたフィリス・ハイマンのストーリーは、ソウル・サーチンの連続だったにちがいない。
■著作のオフィシャル・ウェッブ(英語版)
http://www.phyllishymanstory.com/
(ここから買えます)
■フィリス・ハイマン 『ユー・ノウ・ハウ・トゥ・ラヴ・ミー 』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00000K5AK/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>MUSIC>ARTIST>Hyman, Phyllis
ENT>MUSIC>BOOK>Hyman, Phyllis